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評論家の西部邁氏の死去について、親交があった漫画家の小林よしのり氏は22日、「西部邁氏は立派である」と題した文章を自身のホームページに掲載したそうです。

『【西部邁さん死去】 小林よしのりさん「自分で自分の人生に決着をつけるとは立派だ」』

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評論家の西部邁氏の死去について、親交があった漫画家の小林よしのり氏は22日、「西部邁氏は立派である」と題した文章を自身のホームページに掲載した。文章は「自分で自分の人生に決着をつけるとは立派だ」などとつづられ、「謹んで哀悼の意を表します」と結ばれている。

コメント全文は次の通り

西部邁氏は『死生論』の中ですでに自決の予告をしていた。

わしが「あとがき」を書くと、随分喜んでくれた。

予告通りに自分で自分の人生に決着をつけるとは立派だ。 

西部氏とは公私にわたってあまりにも深く付き合い、従米エセ保守とのイラク「侵略」戦争を巡る戦いでの共闘は、その頂点だった。

わしが「保守」を自認するようになったのも西部氏の影響である。

謹んで哀悼の意を表します。

【産経ニュース 配信】

西部邁さんが

78歳で亡くなられました。

西部さんを初めて知ったのは深夜の討論番組でしたが、穏やかではありますが、揺るぎない信念を感じさせる話し方には、ついつい引き込まれることも多かったと思います。

日頃「自決」を口にしていたそうですが、何となくその思いを理解できそうな気がします。

生き物は

高齢になってくると何かとままならず、特に人間は自らの思いと行動(=主体性)が失われることに大いなる不安を抱くこともあり、できれば「逝ける時に逝きたい」というのが正直な気持だと思います。

どんな状態になっても最後まで寿命の尽きるのを待つ生き方も立派だと思いますが、その主体性が失われつつある時に自ら「自決」するのも、自らの意思で生き抜くという意味では、同様に共感できる生き方だと思います。

いわゆる

「尊厳死」という言葉がありますが、自らにとってどのように生きたいかが明確なほど、その死に方への道もまた明確になるような気がします。

多くの人は、やがては高齢になり、寝たきりになり、日々ひたすら闘病の日々を送ることになると思いつつも、一方では、自らの意思により「安楽死」できる日がくることを、望むこともあるのではないでしょうか。

その意味では、

医療も、単に生かす医療から、主体的な死を迎えさせる医療へと、変わる必要があるのかも知れません。

医療が日々進歩していることは理解できるところではありますが、末期がんの患者など、いわゆる治療ができない状態の患者がいることも事実であり、その一つの限界をしっかりと心に受け止めて、その場合の最善の生き方(逆にいえば死に方)について、もっと深い洞察がなされるべきだと思います。

今回の

西部さんの死は、そのことを自らの行動により教えてくれたように思います。

身体が衰え、もはや自らの意思で生活を楽しむことができないとき、その時は、一つの選択肢として、楽に(穏やかに)人生を終える方法があって然るべきではないでしょうか。

日本の社会が

長寿社会になればなるほど、人生の終わらせ方への配慮が、より大きな社会問題になってきていることは間違いありません。

「いろいろ手をつくしましたが」という医師の言葉の前に、もっといろいろとできることがあることを、改めて考える時がきているのだと思います。

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