『総務省がNHKの受信料不払いに罰則規定を設け、割増金を課す制度を法制化しようとしていることがわかり、ネットを中心に怒りの声が上がっている。』そうです。 |
総務省がNHKの受信料不払いに罰則規定を設け、割増金を課す制度を法制化しようとしていることがわかり、ネットを中心に怒りの声が上がっている。ペナルティーを明確にして、全世帯で約2割いる(NHK調べ)といわれる不払いを減らそうというものだ。
共同通信(2020年11月19日付)「NHK受信料支払い逃れに割増金 テレビ設置の届け出義務は見送り」が報じた。それによると、NHKの受信料制度などの見直しに向けた総務省のとりまとめ案が判明。NHKが要望していたテレビ設置の届け出義務や個人情報照会の制度化は見送る一方、テレビを保有しているのに受信契約締結に応じない不当な支払い逃れに割増金を課す制度を法制化する。
「スクランブル化でいいなんて優しいね。私は解散がいいと思う」
そして、NHK改革を話し合う20日(2020年11月)の有識者会議で提示し、来年の通常国会に放送法改正案を提出する。総務省は受信料を払っている人との不公平感が解消されるうえ、受信料徴収のためのコストも削減され、受信料引き下げにもつながるとみているというのだ。
ネット上では、怒りの声が沸騰している。
「NHKを見ない権利を認めないのはおかしな話。電波の押し売りは早々に止めてもらいたい」
「見てもいないものに金を払うバカがどこにいる?レストランで、頼んでもいないものを押し付けられて、法外な金額を請求されている感覚に近い。こんなことがまかり通るなんて、世の中おかしいわ」
NHK「スクランブルは『健全な民主主義の発達』に問題あり」
といった案配で、スクランブル放送化を求める声が圧倒的に多かった。スクランブル放送とは、契約した人だけがテレビを視聴できるシステムのこと。日本ではWOWOWなど、BSやCSの一部チャンネルで実施されている。ちなみに政府はスクランブル化については反対の立場だ。またNHKは、公式サイトで「よくあるご質問 なぜスクランブルをかけないのか」について、概略こう説明している。
「公共放送として、特定の利益や視聴率に左右されず、社会生活の基本となる確かな情報や豊かな文化を育む多様な番組を誰にでも提供する役割を担っています。また、緊急災害時には大幅に番組編成を変更します。スクランブルを導入すると、どうしても『よく見られる』番組に偏り、放送法がうたう『健全な民主主義の発達』の上でも問題があります」
【J-CASTテレビウォッチ 配信】
NHKの受信料については
これまで何度も触れてきましたが、記事中にみられる「見てもいないものに金を払うバカがどこにいる?」という気持ちが全てを物語っていると思います。
従って政府は「スクランブル放送化(契約した人だけがテレビを視聴できるシステム)」に移行することを早急に決定すべきだと思います。
公共放送についての意義についてはいろいろと伝えられていますが、もはや現代社会ではその必要性が低下しているような気がします。
放送法の原則と
いうものがあるようですが、改めて見直してみたいと思います。
「1.放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。」については、今や民放(商業放送)を見れば「放送自体は日本全国に普及している」ということに何ら異論はないものと思われますし、大きな災害で放送が中断することもあるとは思いますが、その場合はNHKも映らないと思われますので特段の存在意義には値しないものと思われます。
「2.放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること。」については、不偏不党とは何か、真実とは何か、自律とは何かを考える必要があると思います。
不偏不党というのは
「どの主義・党にもくみせず、公正中立の立場をとること」という意味になるかと思いますが、つまりはどちらにも肩入れしないということであり、そのためには全てを深く掘り下げて報道するか、あるいは逆に全てを浅く網羅する形で報道するかに尽きるものと思われます。
物理的な限界を考えると全てを深く掘り下げて報道することは現実的ではないので、全てを浅く網羅する形で報道することになるかと思われますが、それでは単に「さらっと流しました」ということになり、不偏不党ではありますが、何ら真実を伝えることにはならないと思います。
むしろ
今回の米国の大統領選挙で伝えられていたように、放送局が支持する人を明確にした上で放送するというような「偏り」がある方が、そしてそのような放送局がいくつかあって互いに特定の人・党に傾倒した深い報道をする方が、それらを自由に選択できる国民にとっては結果的に真実により近づけるような気がします。
真実については既に記しましたので、次の自律を保障ということについてですが、これは国の権力からの独立という意味だと思われますが、NHKは受信料+政府負担で賄われているので、ある種の国への忖度という振舞いは捨てきれず、広告に依存する民放とは別の意味での配慮が働くことは否めないものと思われます。
最後に
「3.放送に携わる者の職責を明らかにすることによって、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。」については、BPO(放送倫理・番組向上機構 – NHKと民放連によって設置された第三者機関 )における放送基準に照らして行動することで充分だと思います。
このように見てみると公共放送が必要な特段の理由は見当たらないと言っても過言ではないものと思われますので、もはや「見てもいないものに金を払うバカがどこにいる?」という気持ちを重く受け止めて、政府は「スクランブル放送化(契約した人だけがテレビを視聴できるシステム)」に舵を切るべきだと思います。
一度決めたことが数十年と年を経て、いわゆる陳腐化している施策も少なくないような気がしますが、我々国民も「思考停止」に陥らず、「本当にそれが必要なのか」ということを時に応じて考えてみる(原点回帰の)必要があるものと思われますが、いかがでしょうか。
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