ドイツで先週、猛毒のリシンを使った生物兵器の製造を計画した容疑でチュニジア人の男(29)が逮捕されたそうです。 |
『リシン製造で逮捕の容疑者「ドイツ初の生物兵器攻撃を準備」 警察幹部』
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ドイツで先週、猛毒のリシンを使った生物兵器の製造を計画した容疑でチュニジア人の男(29)が逮捕された事件で、警察幹部は20日、「ドイツ初となる生物兵器を使った攻撃に向けた非常に具体的な準備が進められていた」と述べ、容疑者の逮捕によって生物兵器攻撃を未然に阻止したとの認識を示した。
警察の特殊部隊は6月12日、ケルン(Cologne)にあるシエフ・アラー・H(Sief Allah H)容疑者の自宅アパートを急襲。見つかった「毒物」は後にリシンと判明した。
トウゴマの実から抽出されるリシンは、飲んだり吸入したり注射したりすると、微量でも死に至る。シアン化物の6000倍以上の毒性を持つ猛毒で、解毒剤も知られていない。
兵器所持と国家に対する重大な破壊行為を計画した容疑が掛けられているアラー容疑者は、イスラム過激派組織「イスラム国(IS)」が拡散したリシン爆弾製造に関する指示に従ったとみられている。
【AFPBB News 配信】
まず
「リシン」についてのウィキペディアの記事をご紹介します。
『リシン (Ricin) は、トウゴマ(ヒマ)の種子から抽出されるタンパク質である。ヒマの種子に毒性があることは古くから知られていたが、1888年にエストニアのスティルマルク (en) が種子から有毒なタンパク質を分離し、リシンと名付けた。』
『猛毒であり、人体における推定の最低致死量は体重1kgあたり0.03mg。毒作用は服用の10時間後程度(たんぱく質合成が停止、それが影響していくことによる仕組みのため)。
(略)
吸収率は低く、経口投与より非経口投与の方が毒性は強いが、その場合の致死量はデータなし。戦時中はエアロゾル化したリシンが、化学兵器として使用された事もある。また、たんぱく質としては特殊な形をしているため、胃液、膵液などによって消化されず、変性しない。』
『現在、リシンに対して実用化されている解毒剤は存在しない。ただし、米テキサス大学で2004年に開発されたワクチンの臨床試験がFDAの認可の下に行われ、2006年1月30日付の米国科学アカデミー紀要電子版において予防効果を確認したと報じられている。また、ニュー・サイエンティスト誌では2007年7月4日付で、リシン・コレラ毒素・ベロ毒素の吸収を阻害する分子構造がセントルイス・ワシントン大学医学部の研究により発見されたと報じている』
要するに
「リシン」というのは有毒なタンパク質であり、この毒作用というのは「タンパク質合成が停止」することにあるようです。
人体における推定の最低致死量は体重1kgあたり0.03mgということなので、体重60kgの人では1.8mgとなります。
一般的に点眼薬1滴は0.05ml位ですから、仮に1ml=1g(水の場合)とみなすと0.05ml=0.05g=50mgとなり、点眼薬1滴でも致死量の28倍になります。
mlは容積でmgは質量の単位なので比重が重ければ重くなりますので、たとえば金なら21g/mlですし、アルコールなら0.8g/mlとなります。
「リシン」の
比重は分かりませんが、1.8mgというのは「塩ひとつまみ程度」ということなので、ほんのわずかの量であることは間違いないようです。
報道には「容疑者はイスラム過激派組織「イスラム国(IS)」が拡散したリシン爆弾製造に関する指示に従った」という記述が見られますが、仮に主義主張が異なり、今の国家が自分達の目指すものと異なっているとしても、生物兵器で国家を混乱させたり、国家の転覆を図るというのは、正に狂気の沙汰以外の何物でもありません。
私は
「英知は妥協から生れる」と思う人間の一人ですが、何事にも自分にとって良いものと悪いものが混在するのが社会の常であり、これが避けられない現実であるとすれば、後はその中で如何にそのバランスを変えていくかを模索するしか方法はないのではないでしょうか。
力で押し通せば力で押し返されるもので、その結果残るものは単なる無秩序の世界に過ぎません。
社会が
たくさんの人間によって構成される限り、いわゆる大勢に従うことは致し方ないことであり、そんな中では、妥協しつつも少しずつ自らの正義を訴え、取り入れてもらえるよう活動する以外に方法はなく、またそんな中においてこそ英知が生れるものと信じています。
人間の愚かな行動は歴史が証明しています。
日本でも戦国時代という時期があり、正に狂気の沙汰と思われる戦いの日々が長年続きましたが、その力と力のぶつかり合いがもたらしたものは「多くの不幸だけ」と言っても過言ではないと思います。
つまり
豊臣秀吉や徳川家康によって日本が統一されるまでは、まだまだ勝手に振る舞える自由があり、正にそれ故に混乱の世が続きましたが、統一後は国家権力に従うということで一定の平和が訪れました。
そして今度はその国家権力が国民を自由に操り、他国侵略への道を辿ることになりましたが、それも緩やかではありますが、民主主義を根幹とする国際的な秩序が形成されて、国としての自由な振る舞いが制限されることで現在平和が訪れています。
「自由な振る舞いの余地」があれば、
そこには必ず野望が芽生え、その結果多くの人を混乱に陥れる可能性がありますので、それを制限するための秩序が不可欠であり、またそれを維持する精神的主柱こそ「妥協」の精神ではないでしょうか。
その意味では「力で解決する」よりは「妥協で道を拓く」ことを選択すべきだと思います。
それ以外に「平和な社会」を維持する方策は、ないのではないでしょうか。