孤独が健康などに悪影響を及ぼすとして、メイ英首相は1月、「孤独担当相」を新たに設けると発表したそうです。 |
『大丈夫か孤独大国・日本 「孤高」美化の風潮も』
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孤独が健康などに悪影響を及ぼすとして、メイ英首相は1月、「孤独担当相」を新たに設けると発表した。人口約6500万人の英国では、900万人以上が「常に」あるいは「頻繁に」孤独を感じ、1カ月以上も友人や家族と会話しない高齢者は20万人に上るという。ならば、孤独死が社会問題化している日本に「担当相」は必要ないのか。
「日本には『孤独』に関する統計は、ほとんどありませんが、欧米以上に『孤独大国』と思われます。少子高齢化が進む中、早急な対策が必要ではないでしょうか」。そう話すのは、「世界一孤独な日本のオジサン」(角川新書)の著者で、コミュニケーション戦略の専門家、岡本純子さんだ。なぜ、「孤独大国」なのだろうか。
岡本さんが示したのは、英シンクタンク「レガタム研究所」が発表した2017年版の「繁栄指数」だ。九つの指標のうち、日本は「ソーシャル・キャピタル(社会や地域での人の信頼関係や結びつき)」で149カ国・地域のうち101位。
岡本さんによると、英国で孤独対策の本格的な取り組みが始まったのは5~6年前から。孤独は認知症や高血圧に結びつくなど健康を損なうという認識が広まり、五つの慈善団体などを中心に「孤独を終わらせるキャンペーン」が11年に始まった。調査や研究、啓発活動が行われ、メディアも頻繁に取り上げた。孤独なお年寄りが集える場や、相談のホットラインなどが、民間が主体となって設けられたという。
【毎日新聞 配信】
報道中の記事には
次のような文章もみられます。
『研究の中心となった東北大大学院歯学研究科准教授の相田潤さん(公衆衛生)は「日本では関心があまり払われていませんが、米国の研究チームによる『孤独であることは酒の飲みすぎやたばこを1日15本吸うのと同じぐらい健康に悪い』という調査結果は欧米に広く浸透しています」。』。
『国立社会保障・人口問題研究所の最新の推計によると、2000年に27.6%だった1人暮らし世帯は、2040年には39.3%になる。4割が1人暮らしだ。』。
人との「つながり」というと、
学校、職場、サークル、ご近所付き合いなど、何らかの組織体を思い浮かべます。
このような組織体での「つながり」の場合は、その組織体を離れると「つながり」も希薄になります。
ご近所付き合いの場合は、引っ越さなければ長い付き合いとなることも多いですが、ただ自治体の集まりのようなものでは、あまりにも形式的すぎて本来の「つながり」はできないと思います。
その意味では、
ご近所付き合いの場合でも、子供の頃からの付き合いのようなものでしか「つながり」はできないような気がします。
むしろ「飲み屋での常連仲間」のような形の方が「つながり」を築きやすいのかも知れません。
今回の報道を受けて、
「つながり」を築くための方法について、少し考えてみました。
昔は井戸端会議などといって、ご近所の人達が気軽に集まる場所があったと思います。
結局、水道や洗濯機などの電化製品が普及していなかったので、自然と人が集まることになっていたようです。
その他にも、店の数や、品数、営業時間なども限られていたため、物の貸し借りなどで協力し合うことも多く、また楽しみも多くなかったので、近所の丘などで弁当持参で集まるなどといったこともあったようです。
このように見てくると、
いわゆる自然発生的に人が集まっており、それだけ自由な付き合いが行われていたと思われます。
現在はどうかというと、生活環境が豊かになったこともあり、ご近所の付き合いにしても自然発生的に集まることは殆どなく、自治体の集まりなどで強制的に集められて顔を合わせる程度、ということになるのではないでしょうか。
そんな形ではどうしても「つながり」を築くまでには至りませんので、たとえば市民センターなどの公共の施設を解放するのが一番良いと思います。
要するに
場所の提供ということになりますが、何かの目的のために集まるのではなく、そこに行けば誰かと話ができる、囲碁などの娯楽を楽しめるといった、自然発生的な「つながり」が生れる場所の存在が大きいと思います。
昔はそういう場所が多かったと思いますが、近年では殆ど無く、一番相応しい公共の設備を使いたくても、目的が明確でないとダメで、また「いつでも使えるもの」といった持続性も期待できません。
たまに「○○カフェ」のような催しが行われますが、その程度では「つながり」を築くまでには至りません。
是非、
公共施設の中に、一年中いつでも開いている部屋を作っていただきたいと思います。
そこに自由に出入りすることで、必ず人と人の「つながり」が形成されていきます。
そしてその「つながり」をベースにして、様々な楽しみが生まれていくことは間違いなく、健康維持にもよく、また真の自治が芽生える可能性も大いにあるものと思われます。
関係者の皆さんには、
公共施設の形式的な運用からは形式的なコミュニティーしかできず、自由に集まれる場所の提供こそが自然発生的な「つながり」を促進し、真のコミュニティーが形成されていくことを理解していただきたいと思います。
人々の協力も、孤独の緩和も、そのような理解があって初めて実現できるものと思いますが、いかがでしょうか。