尖閣諸島に1819年、琉球王族が船で上陸していたことを示す資料が公表されました。
『琉球王族、1819年に尖閣へ 領有権裏付ける資料公表』
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政府は12日、尖閣諸島に1819年、琉球王族が船で上陸していたことを示す資料を内閣官房のホームページで公表した。これまでは1845年の英国人の上陸を記した記録が最古とされてきたが、さらに26年さかのぼることになる。日本の領有権の正当性を示す新たな根拠として国内外に発信する。
政府は昨年度、民間に委託して、日本が尖閣諸島と竹島を実効支配してきたことを示す資料約670点を収集。そのうち、特に注目すべき資料30点を掲載した報告書をまとめ、日本語版と英語版を公表した。
(略)
松本純・領土問題担当相は12日の閣議後の記者会見で、「我が国の(領有権に関する)主張を改めて裏付けるものだ。客観的なエビデンス(証拠)を内外に発信していく」と述べた。
【朝日新聞デジタル 配信】
領土問題というのは
昔から紛争の火種になることが多く、双方の国民にとっては、やっかいな問題ともいえます。
その国の領土とみなすには、「古くからの実効支配があるかどうか」が決定的な判断要因となりますが、それがなければ、「どちらが先に発見し、領有を宣言したか」ということが次の判断要因となります。その場合は、「どのような公文書や史実があるか」が、大きな判断材料になります。
日本における領土問題といえば、
「竹島、尖閣諸島、北方領土」ということになりますが、これらは全て固有の特徴を有するといわれています。
「竹島」については、『日本は1905年に竹島を島根県に編入した』として国内の新聞に掲載されたことを指摘する声がありますが、一方韓国としてみれば、1910年の日韓併合への布石として捉えられているという事があり、その意味では、韓国人にとって、独立と自尊心の象徴的な土地ということになります。
「尖閣諸島」については、
『1895年に日本編入の閣議決定を行ってから、船着き場や貯水施設等を建設し、古賀村として最盛期には200人近い人々が居住していた』といわれており、実効支配という点での日本の言い分が優るようですが、1968年に地下資源が発見されたこともあって、領海侵犯を重ねることで、日本の実効支配の事実を否定し、中国の国益拡大を図ろうとする狙いがあるともいわれています。
「北方領土」については、
第二次世界大戦終了直後に、ソ連(現在のロシア)が、歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島の4つの島(北方四島)を占領したのであって、もともとは日本人によって開拓され、日本人が住みつづけた島々だといわれています。
およそ160年前の1855年2月、日本(江戸幕府)とロシア(ロシア帝国)の間で初めて国境を確定した日魯通好条約(日露和親条約)が結ばれ、両国の国境線は、択捉島と得撫島(ウルップ島)間に定められたという記述が残されているようです。
その際、
樺太島(サハリン)には国境を設けず、これまで通り両国民の「混住の地」にするとの記述もあったようです。
得撫島(ウルップ島)は4島より北に位置し、従って日本政府は、この条約を根拠に「北方領土はこの時に日本領となった」とする立場をとっているとのことです。
結局、
今の国際社会は、まだ国連という大きな統治機構によって実質的な統治が行われていないということで、そのため互いの国が、互いの国益を優先して、自由に振る舞うことを、咎められない状況にあるといえます。
それゆえに領土問題についても、現状では解決する手立てはなく、国連という機構が、世界各国を統治する仕組みに発展するまで、待つしかないということになりそうです。
それを踏まえると、各国のやるべきことは、『力で蹂躙されない国力を持つ』ということで、その基本となるものは経済力であり、軍事力を含めた技術力だと思います。