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「余命1年もないと医師に宣告されながら、5年たっても生きています」。難治性血液がんの成人T細胞白血病(ATL)と診断された男性から、特命取材班に悲痛な声が届いたそうです。

『余命宣告トラブル 医師から「1年」、それから5年…仕事や財産手放し困惑』

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「余命1年もないと医師に宣告されながら、5年たっても生きています」。難治性血液がんの成人T細胞白血病(ATL)と診断された男性から、特命取材班に悲痛な声が届いた。死を受け入れ、仕事や財産などの整理も済ませたという。「何も手元に残していない。どう生きていけば…」。そもそも余命宣告とは-。

声を寄せてくれたのは、福岡県久留米市の笠井駿さん(71)。自宅を訪ねると、日記帳をめくりながら経過を説明してくれた。

笠井さんは「医師から『次の誕生日は120パーセント迎えられない』と説明を受けた」と言う。取引先にあいさつして回り、経営する設計企画事務所を閉じた。財産は売却したり、子どもに譲ったりしたほか、親族には別れの手紙を書いた。ホスピスにも一時入所した。

診断から5年。体に痛みがあり通院しているものの、「死」が訪れる気配は感じていない。抗がん剤治療の影響で歩行が難しくなり、車の運転もできなくなった。生きていることは喜ばしいことだが、「ATLというのは誤診だったのでは。納得できない」と憤る。

一般的に、余命について医師は、同じ病の患者の平均的な生存期間である「生存期間中央値」や、診断を受けて5年後や10年後に生存する患者の比率を示す「5年生存率」「10年生存率」を説明する場合が多いという。過去の多くの患者から計算された平均的なデータにすぎないが、「個人差があることを考えずに受け取られる恐れがある。医師は工夫が必要だ」という。

【西日本新聞 配信】

報道によると、

笠井さんは難治性血液がんの成人T細胞白血病(ATL)と診断されたそうですが、がん(悪性新生物)は全死因の中の第1位で約3割を占めており、 日本人の2人に1人ががんにかかり、3人に1人ががんで死亡しているとも言われています。

このような現実を踏まえると、医師から「次の誕生日は120パーセント迎えられない」と告知されたとすれば、かなりの確率で「ダメかもしれない」と思うことに無理はないと思います。

もし

自分の寿命が尽きるとなると、やはり身辺整理という行動も極めて自然なことですし、今回報道の問題は笠井さん一人の問題ではなく、多くの人に起こりうる問題と言っても過言ではないと思います。

ではこのようなケースではどのように行動すべきでしょうか。

この問題を

医師の配慮に任せるとすれば、結局あいまいな説明(様々なケースがあり得るので何とも言えない・・・)になることは明白です。

やはり互いが歩み寄り、医師としてはあくまでも可能性の割合ということで正直な意見(その意味では120%は断定しすぎで、1年以内の死亡の可能性としては60%、5年以内の死亡の可能性としては30%・・・のような割合)を述べるべきだと思いますし、患者としては可能性の中の一番長い寿命を想定して(その後容態を見ながら寿命を推し量る)対応を図るべきだと思います。

段階的に

容態をみながら対応(取引先へのあいさつや、仕事の始末、財産の整理、親族への別れなど)を、変えていくことが、自然で良いと思います。

つまり初めは一番長い寿命を想定しての対応(取引先や親族には病気のことをそれとなく匂わす程度、仕事は継続、財産整理は大枠での計画程度、など)とし、その後の容態を見て、少し悪化してきたようなら更に短い寿命を想定しての対応(取引先や親族には最悪の場合の選択を伝える、仕事は一時休業、財産整理は目録の書き出し、など)に切り替えることでも良いのではないでしょうか。

勿論

できることとできないことがあると思いますが、なるべく段階的な形で進めるのが齟齬を最小限にする方法だと思います。

今回報道の問題は一つの悲しい現実問題と言えますが、加齢が進むと誰にでも起こりうる問題とも言えますので、日頃から、そのための対応についての思いを巡らせておくことも大切なことかも知れませんね。

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