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「内部留保に課税するとなると、大企業は内部留保を配当として株主に分配するであろう」と、久留米大学の塚崎公義教授が解説しています。

『小池新党の「内部留保課税」は設備投資や雇用に全く効果がない』

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※記事が削除されている場合もありますのでご了承願います。

大企業は資金調達が容易なので、もうかりそうな設備投資案件があれば実行するし、なければ実行しない。実行すると決めたら、必要な金額だけ調達する。調達方法は、増資か借り入れ、もしくは内部留保である。

内部留保に課税するとなると、大企業は内部留保を配当として株主に分配するであろう。その分だけ純資産が減るので、負債での調達が増えることになる。もっとも純資産が減って負債が増えると、少額の損失でも債務超過に陥ってしまうリスクが高まるなど企業経営が不安定になるので、場合によっては、「純資産が減りすぎるのを防ぐために内部留保を一部残して納税する」「純資産が減りすぎるのを補うために、借金ではなく増資が行われる」といったこともあろう。

ただ、それだけである。決して設備投資が増えることはないのである。

【DIAMOND online 配信】

ウィキペディアによると、

『内部留保とは、企業が経済活動を通して獲得した利益のうち、企業内部へ保留され蓄積された部分のことである。』とのことです。

更に、『基本的には企業の利益金額から役員賞与、配当、役員賞与金、租税などの社外流出分を除いた部分を社内に保留することである。しかし内部留保の概念には広狭があり、具体的にどの勘定科目を内部留保の計算に用いるかをめぐって、会計学や経営分析の研究者間でも見解に相違がみられる。』との説明がみられます。

要するに

利益が出て、その分を課税された残りのお金のことで、それに課税することは「二重課税」になるとの指摘もみられます。

希望の党の小池代表は、9月6日に行った公約発表の記者会見で、「内部留保課税は、貯めに貯められたお金が流動的に動くきっかけになると考えている」と発言しています。

内部留保課税を実施すれば、企業が内部留保を企業内保育園の整備や設備投資、株の配当金などに回すきっかけになるとの見解も表明しています。

2015-12-17付けの記事の中に、

『2014年度末時点で企業全体の内部留保は354兆円と、10年前(2004年度)と比べ150兆円増加している。内部留保は主に企業の海外展開の原資として活用されており、また運転資金確保のため、一部は現金・預金となっているようだ。』という内容が掲載されていました。

以前の大企業は、利益がでるような場合は社員の給料を高くして、優秀な人材を確保しようという傾向が強く、それによって内部留保がそれほど注目を集めることはありませんでした。

ところが

いわゆる、企業のグローバル化が進み、M&A(企業の合併買収)が盛んになるにつれて、大企業の動向に変化がみられるようになりました。

つまり外国企業との競争に勝つために、自らもグローバル化を進めるようになりました。

その結果、外国企業へのM&Aを行ったり、逆に自社へのM&Aを防ぐことになり、そのために巨額の内部留保が必要になっていきました。

他社に対する

M&Aを行う場合も、また自社株買いによりM&Aを防ぐ場合も、共に内部留保が大きな役割を担うからです。

この企業のグローバル化は、国という枠組みを逸脱し、国内の生産と消費というバランスを破壊する結果を招いています。

通常ですと、

国内の企業が生産力を高め利益が増すと、それを社員に還元することで消費力を増やし、それをバネにさらなる生産力の増大へと発展を続けるのが、これまでの国内における経済活動の枠組みでした。

ところが企業がグローバル化すると、人件費の安い国で生産し、消費力の高い国で販売し、税金の安い国で節税するなどの、いわゆる一国での経済発展というバランスを逸脱するものに変わっていきました。

その結果、日本国内における生産活動が相対的に低下し、消費力が落ち、デフレが続くことになりましたが、グローバル企業の利益は大幅に増え、またそれに伴い内部留保もどんどん増大しています。

つまり

企業のグローバル化と内部留保は一体化しており、大規模(経営・資本)を代弁した政策を続ける自民党はそれを容認し、中産階級を代弁した政策を模索している希望の党は、それに歯止めをかけようとしています。

グローバル企業の内部留保を、国内の雇用に回るように、何とか税制を変えていこうという方針こそ、国内の生産と消費というバランスを取り戻すための政策実現への、基本的な考え方だと思います。

「暴走するグローバル企業への対応をどうするか」、それも今、選挙を通して問われています。

私達にとって、また子や孫にとって、どちらが必要なことなのか、良く考えてみる必要があるのではないでしょうか。

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