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「軍のお偉いさんたちは、どんな価値観で指揮しとったんやろうなあ」と、中村さんは当時を振り返って語っています。

『盧溝橋事件80年 100歳元兵士「無謀な戦い」』

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1937(昭和12)年7月7日、中国・北京郊外で起きた「盧溝橋(ろこうきょう)事件」により日中戦争が始まって80年。中国東北部の旧満州国に出兵した姫路市の中村仁一(にいち)さん(100)は、戦線が拡大して泥沼化し、太平洋戦争へとつながっていく過程を今も証言できる数少ない一人だ。断片的だが鮮明に残る記憶をゆっくりとたどりながら、「無謀な戦いだと当時から分かっていた」と繰り返す。

「みんな兵隊にとられとるし、嫌がったら国賊や。お国のために死ぬ善しあしなんて考えもせんかった」

かん口令が敷かれ、前線の詳しい様子は分からなかったが、200人ほどいたある部隊で戻ってきたのは10人足らず。生き残った兵士が「弾を撃ったらあかん。全然効かんし、猛烈な仕返しがくるだけや」と漏らすのを聞いた。

中国軍から奪った旧式の武器を前線で使うほど貧弱な装備。ノモンハン事件でソ連軍の装甲の厚い戦車を目の当たりにすると、体一つで近づいて手りゅう弾で攻撃する訓練が始まった。「自分の体は自分で守れ」と命の大切さを訓示した上官が、ありがたくもあり、浮いた存在にも見えた。

「一兵卒でも『こんなんで勝てっこない』って分かるような戦争を延々と続けて、庶民が当たり前のように死んで。軍のお偉いさんたちは、どんな価値観で指揮しとったんやろうなあ」

【神戸新聞 配信】

あの第二次世界大戦までの

日本の国としての対応には、多くの疑問を抱かざるを得ません。

「欧米諸国による日本の植民地化を避けたい」、「中国の豊富な資源や東南アジアの石油を手に入れたい」、このような思惑の元で行われた軍事政策だと思いますが、「国民は単なる捨て石にすぎない」という国の姿勢が、中村さんの話からもうかがえます。

仮に「日本の植民地化」が

現実問題として差し迫っていたなら、中国大陸への進出ではなく、国内の経済発展や貿易拡大を促進し、その成果を軍事力の増強に充てるべきだったと思います。

中国大陸への進出によって、却って欧米の反感を煽り、経済封鎖という事態を招いたことを思えば、矛盾を感じざるを得ません。

大東亜共栄圏という、

アジア全体での非植民地化構想を建前にして、中国大陸への進出を制度化し、それによって軍部の一部と、連携する民間企業が潤うという構造を考えると、結局、中国も日本の国民もその犠牲者になったと考えるのが自然ではないでしょうか。

中村さんの言葉からは、軍隊に徴兵され、国賊といわれたくなくて黙々と戦地に送り込まれていく国民の姿が浮かんできます。

「何故そうなったのか」

という総括は為されていません。それ故に、今後「日本がそうならない」といえる保証も、定かではないということになります。

つまりはまた国の思惑によって、国賊の汚名をちらつかせることで、国民を強制的に戦地に送り込むという事態が起こらないとは、いえないのではないでしょうか。

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