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国でも人でも複数の要素が存在する場合、そこには必ず「自由」というものの考え方の基準が必要になってきます。各要素は互いに自然発生的に自分の「自由」を主張しますが、それらが同時に相手側の「自由」を損なうこともまた自然なことだからです。

今日はそんな「自由」というものについて考えてみたいと思います。

たとえば何人かで遊んでいるとします。

そこに一人やってきて自分も参加したいと言われた場合に、参加させてあげることも、あるいは参加を拒絶することも「自由」だと考えるべきでしょうか。同様のケースを遊びではなく、仕事に変えた場合はどうでしょうか。

おそらくどちらについても「自由」にできるという人が多いと思います。それはどちらにおいても、既存の参加者の害になる場合は拒絶し、逆に益になる場合は是認したとしても、参加希望者の基本的な「自由」を損ねることにはならないと考える人が大半だと思われるからです。

つまり

「自分達の自由を守ることで、他の自由を完全に抑制しない」ということが大切で、この場合も参加希望者が別なグループへ参加する自由を抑制するものではないことが大きな意味を持っていると思います。

確かにそこへの参加の自由は得られなかったけれども、別の可能性は残されている訳で、そのような「大きな自由」という概念が必要になるのだと思います。

この「大きな自由」という考え方は、

いろいろな判断に役立ちます。たとえば「プロ野球に新規参入したい」という企業があった場合それを拒絶できるか、あるいは「職員募集で男性のみ」のようなことは制限できるかといった例をあげることができます。

前者の場合は、既存のリーグへの新規参入を拒絶したとしても、別のリーグを作ることについては抑制していないので基本的には良しとすべきですが、しかし別のリーグを作るのは現実的にかなり難しいことなので、二部リーグを作るなりの段階的参加の道を残す方法がベストだと思います。

後者の場合は、女性のみを採用する企業もあるので基本的には良しと判断しがちですが、全体的な数の問題を考えた時に圧倒的に女性採用の機会が少ないということを考慮すると、「大きな自由」がないと言わざるを得ず、それを放置するのは良くないことと判断できます。これについては「男女雇用機会均等法」という法律が既に制定され施行されており、是正の処置がとられていることをご存知のことと思います。

「自分の自由を守ることで他の自由を完全に抑制しない」ような自由を仮に「大きな自由」と呼ぶ時、そこに「大きな自由」があるかどうかという判断をすることが一つの手法として望ましいこととは思いますが、しかしそれもかなり難しい判断になることは、前記の例をみても容易に想像できることと言わざるを得ません。

この「自由」の問題は、

国の領土問題にも大きく関わっており、この問題を「大きな自由」の観点から照らすと、「共有」ないしは「中立」が一つの理想として浮かび上がってきます。自国の領土として自由に管理することが他国の自由の完全な抑制になることを思えば、共に許容できる点を見出すことは一つの現実的な選択肢を得ることとも言えます。

直近の歴史的データによって所属が明らかな場合を除いては、この選択肢を用いることを検討すべきだと思います。

最後に独裁的な国家の場合は、

国民に「大きな自由」は存在しません。国連が充分に機能していない以上そこから解放することも現実的ではなく、その場合は周辺国の国境を一時開放し、当事者の国民に国家選択の自由を与えることも一つの平和的手段であることを指摘したいと思います。

周辺国の協力が得られ、国連が強力に支援して実現したなら、その国から国民の多くが離脱し、国家は成り立たなくなります。そして結果的に「新たな国家になった時に戻る」という考え方を前提にすれば、壮大な計画ではありますが、必ずしも非現実的な手法とも言えないのではないでしょうか。

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