今TPPの問題が議論されています。この問題は結局「自由とは何か」という所に行き着く問題だと思いますので、その点について考えてみたいと思います。
自由に行動できるということは
決して理想の状態とは言えません。極端な言い方をすれば自由な社会というのは弱肉強食を許す社会ということに他なりません。強い者が弱い者を踏みにじって生きていく社会が理想の社会であるはずが有りません。
理想の社会というものは
適切に統制された社会だと思います。しかしこの「適切に統制する」ということは大変難しいことといえます。それはどうしても少数の選ばれた人達だけの天国になり、その他の人達は虐げられることになりかねないからです。
つまり統制するためには統制のための基準を作成し遂行する必要がありますが、そのためにはそれを担当する人達に対して、その基準に従わせるための国家的な権力が与えられることになります。
その国家権力を与えられた人達が公正に統制できるなら何の問題も有りませんが、長い時間を経ると、自分達に都合の良い統制へと変質させるということが、往々にしてみられるもので、歴史の中にも多くの例をみることができるはずです。
公正という名の下に
自分達を優遇するような仕組に変えるという行為は、その人達が特別に強欲であるからというよりも、むしろ人間の弱さによるものだと思います。
権力を手にすると周りの協力者達が様々な要望をもって行くようになり、次第に公正の名の下にそれを叶えることになっていくのは、ある意味で自然の流れとも言えます。
それを避ける意味で、
結果的に、まだましな方の自由(競争)が選ばれることになります。自由があれば、どこかで是正のうねりが強くなって変革される可能性があるので、特定の権力者による統制よりは、自由なうねりに任せた方がより自然に良い状態に落ち着きやすいという判断が働くためです。
結局は
「大きな統制の元で自由な活動を許す」ということが歴史的な考察を加えた末の結論と言えるのではないでしょうか。つまり適切に統制するのなら細かく決めるべきですが、細部まで決めてしまうと決める人達の要望が盛り込まれて不公正になるため、大きな統制にとどめることでそれを防止するという思いが込められている訳です。
そうなると問題は統制の内容と自由度の内容のバランスということに移っていきます。
自由な活動により適切な発展へと流れる要素をできるだけ生かすと共に、強い者が弱い者を踏み台にして伸びるという要素をできるだけ防ぐための統制とはどういうものかということが要点になります。
そのための判断基準は、
「どういう統制によって発展の障害が生まれ」、「どういう統制によって発展の犠牲が防げるか」ということになるのだと思います。つまり犠牲を最小限に抑えながら発展を促す統制を考えることが最大の目標となります。
これをTPPの問題に適用すると
「救済」ということになります。
参加国の中の強い産業が発展することで犠牲となる弱い産業をどう「救済」させるかが問われます。そのための統制が必要です。
たとえば犠牲となった国の産業を切り替えるための援助の仕組が課題にあげられるべきかも知れません。
資金提供、技術提供、基盤(土地など)提供、など様々な援助の仕組があれば、それを利用して別の産業を立ち上げることができるかも知れないからです。
安易に自由(競争)を容認するのは危険なことです。
答えはまだ見つかりませんが、TPPの問題は適切な統制が生まれるまでは慎重に実施すべき課題であることは間違いありません。
他国の良いものを買うことで、自国にとって必要な産業が滅んでいくことがあるとしたら、それが国民の生活を不安定にしないことを見極める必要があります。どんな点で良くなり、どんな点で悪くなるのかが明らかにならなければなりません。
他国が解決してくれる訳ではない以上、慎重に検討することは当然のことと言わざるを得ません。