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今はどこの組織でも「結果」を出すことを求められます。
いくら努力しても「結果が伴わなければ無意味」ということも良く言われます。
そこでこの「結果」を求めることについて考えてみたいと思います。

「結果」を求める理由は

「過程」を評価することが難しいことにあります。

つまり「過程」には様々な不確定要素が存在します。
たとえば「時間を守る」という「結果」を求める場合でも、「過程」で発生しうる不確定要素として「交通事情の悪化(人身事故、機械の故障、病人の搬送など)」「体調の急変」「自然災害」などが考えられますが、これらを一つずつ考慮していてはキリがないので、「結果」のみで評価したいという考え方に傾きます。

しかし「過程」を評価しなければ

無理を強いる可能性があり、それが多くなると行動意欲が低下し、組織運営に支障をきたすことになります。

そこで「結果」が得られなかった場合は、「過程」の個々の事情を考慮するのではなく、大きく分類して評価を下すべきだと思います。

たとえば、あまりにも例外的な事情が発生していた場合は「無罪(お咎め無し)」とし、その他を「有罪(お咎め有り)」とします。更に「有罪」の場合は、例外性が強いとみなされる場合は「情状酌量の余地あり」とし、その他は「情状酌量の余地なし」とします。

このように「結果」が得られなかった場合は、その「過程」の事情を三つに分類して評価するのが良いのではないでしょうか。

このように「過程」を評価することは

同じ咎めを受ける場合でも、本人の納得が得られやすく、それ故に次からの行動意欲が低下することはなく、逆に向上する可能性も高くなります。

日頃から信頼している人には

自然と不確定要素(不可抗力)への配慮が働きますが、そうでない人には配慮を欠くことも多いものです。
これはある意味では、両方良くないことと言えますが、この偏見も「過程」の事情に対する大分類の評価により、是正されます。

組織を預かる人の立場ですと、単に「結果」のみ求める気持ちも理解できますが、それでは適切な組織運営とは言えないと思います。難しい中でも、ある程度の評価をする姿勢こそ、大切な要素ではないでしょうか。

「結果」が一番求められる場所は戦争ですが、

昔の人は「勝敗は時の運」と言いました。
同じ戦法を用いても、ほんの少しの条件変化で裏目に出ることがありますが、そのことを意味しているものと思われます。

逆説的に言えば、「過程」に多大な努力が見られれば「結果」に反映されなくてもしょうがないという考え方があっても良いと思います。

ゲーテという人が

「人生において重要なのは、生きることであって、生きた結果ではない。」と言っています。
人の行動の基本は、やはり個々の「過程」で努力することであって、(余裕がある状況では)まず頑張ったことを褒めることから始めるべきなのかも知れませんね。

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