皆さんは、何か新しいことに挑戦するとき、ためらわずにどんどん進んで行くタイプでしょうか、それとも色々調べたり、知人などにアドバイスを求めたりしてから少しずつ進めて行くタイプでしょうか。
ヒルティという人が次のように言っています。
「総てを知りて後にこれに従わんとする者は、決して始めることはない」と。
この言葉は、自ら見つけようとする気持ちがあるかどうかを問うもので、その気持の少ない、いわばやり方を教えてもらおうとする人は、結局新しい発見をすることは無く、いつまでも情報を集めるだけで始めるに至らないことさえある、と言っているのだと思います。
例えば初めて「自転車に乗りたい」と思っている人は、「自転車に乗ること」全てについて知りたいとは思わないものです。まずどうすれば乗れるのかを知り、すぐにそれを実行しようとするはずです。うまくいかない場合は、その原因については知りたいと思うでしょうが、全てについての知識は求めないと思います。
つまり全てを知ってからという気持ちは
対象への思いが、いわゆる他人事のように感じられます。何か是非聞いてもらいたい意見のある人は、多くの人の意見を聞いてから、自分の意見を言うというより、まず自分の意見を言います。つまり、まず始めることを考えます。
そしてそれに対する反論が出た場合に、それを聞きます。それはその反論に対してそれが間違いであることを指摘して、持論を認めてもらうためで、行動を起こす人は、このように主体的に行動するのが普通です。
ド・ゴールという人は次のように言っています。
「物事を考える人は大勢いるが、行動を起こすのはたった一人だ」と。
全てを知ってからそれに従おうとする人とは、つまり始める人ではなく、誰かの後に従う人なのです。
以前、「指示待ち世代」のような言われ方がありましたが、
この「指示待ち」ということの意味は、自ら始めないということにおいては同様の意味を持つものです。
「指示されたらその通りに行う」という点では、「全てを知ってから従う」というものより、更に依存性が強い姿勢とも思われます。
「始める人」と「従う人」の違いについてもう少し考えてみたいと思います。
この差は、「実現に対する思い強度の差」から生じるものと言えます。実現を強く望む人は、その対象について良く知らなくても、すぐに行動を始め、どんどんそれを進めて行こうとします。おそらくその人の心の中には、実現への熱い思いが満ちているのでしょう。
仕事や趣向において
実現への思いが強い人は、その積極的な思いが、意外な行動にも波及して、新たな価値の創造に寄与することも少なくありません。きっと「これができるようになったらすごいぞ」という気持ちが、未知の困難を恐れない積極性をもたらすのでしょう。
指示待ちや、多くを知ってその方法に従うという気持ちになるのは
結果に対する期待や、強制が強すぎることが考えられます。「うまくやりたい」「失敗したくない」といった気持ちが、「始めること」をためらわせる原因だと思います。
とにかく「始める」ことは、多くの苦労や努力を伴いますが、未知の扉が開かれたのも、そのような素晴らしい先人の行動の賜物と考えれば、挑戦への意欲も湧いてくるのではないでしょうか。