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「公平にしよう」ということを良くいいますが、公平性には正の公平性と負の公平性があります。正の公平性というのはプラスになることへの公平性で、負の公平性とはマイナスになることへの公平性です。

昨年の東日本大震災の後、多くの瓦礫ができ、テレビで海の傍に高く積み上げられている光景を見る機会が何度もありました。その報道の中で、東京都が瓦礫の処理を積極的に引き受けてくれている反面、他の自治体による瓦礫処理の協力がなかなか得られない旨のコメントがありました。

理由は

放射能が瓦礫に付着していると危険だし、何よりも処理後の灰に放射能が残ることで農産物などの風評被害が避けられないというものが主なものでした。処理前に入念に放射能の汚染度合いを測定して、ある基準以下に限るという制限が設けられていても、できないということでした。

どんな基準を設けても風評被害のことを考えると二の足を踏む気持ちは良く理解できますが、でもそれで良いのでしょうか。被災地ではずっとその瓦礫が積み上げられているし、そのことによって復興作業がなかなか進まないという現実があります。

この状況は

いわゆる「見て見ぬふり」という表現があてはまるような気がします。ある一部の災難を見て、同情はするが巻き込まれたくないので、遠巻きにして近寄らないという光景が浮かんできます。しかし一方では「もっと積極的にお互いに協力しあうべきだ」と考える人も少なくはないのではないでしょうか。

この場合は「負の公平性」という考え方を

適用すべきだと思います。日本にはいくつかの大きな負が存在します。沖縄に集中している米軍の基地の問題、原子力発電所(略して原発と表記します)の問題、大都市への人口集中の問題など、ある特定の地域にのみ負担のかかる問題がありますが、これらの負の問題は各都道府県で公平に分担すべきことだと思います。

これら負の問題は、負の側面を持ちながらも一方では維持する必要性のある正の側面をも併せ持つことで対応を難しくしています。負の側面は誰もが敬遠したいものなので各自治体の意向に沿えば、あらためて負担する気持ちにはなれないということになり、結果的に今負担している所が負担し続けることになります。

しかし「見て見ぬふり」では何も解決しません。

必要性のある正の側面を併せ持つ限り、継続されることになり、特定の地域が負の側面を負担し続けることになるとしたら、国としての調整機能が発揮されていないということになります。

国の調整により、負の側面をできるだけ均等化し、特定地域の負担を軽減することで負の公平性が保たれ、そのことによって全体的な平安がもたらされるのだと思います。つまり共に危険性を分担するという一体感が協調性を生み調和をもたらすということではないでしょうか。

前記の瓦礫の問題についていえば、

各都道府県単位で公平に「危険物廃棄場の設置を義務付ける」というのはどうでしょうか。国レベルの危険物はその各々の廃棄場を利用して廃棄するということになれば、処理が進むし、国民の考え方も危険性の共有ということで極端なまでの安全性の要求も抑制されると思います。

自衛隊では

実弾での訓練なども行われていますが、「危険物廃棄場」の管理・運営については、統制のとれている自衛隊の管理下で実施されるのが望ましいと思います。米軍基地も可能な限り、各都道府県単位での自衛隊との共同基地化を検討することで沖縄の苦悩も軽減されるのではないでしょうか。

そして今大きな問題となっている「原発」も同様に考えるべきだと思います。福島での危険性に直面して国民皆が不安感を持っていると思いますが、55基もの「原発」を全て捨てるというのは、あまりにも極端すぎます。計画性がなければ混乱を生むばかりです。

「二十年後には全廃する」などのように

期限を限って稼動させるべきだと思います。そしてその間につくられる核廃棄物についてはやはり各都道府県単位で公平に廃棄場を設置してそこに廃棄すべきだと思います。勿論その期限内に別の代替エネルギーに関する政策をまとめて計画的に推進していかなければなりません。「原発」は大切な国民の財産でもあり、産業の原動力なのですから、もっと冷静に考えて対応すべきだと思います。

昔米国と戦争になった時、

単に敵国語だからと「英語」を禁じた日本軍に対し、米軍では「日本語」のできる人を集めて暗号解読などに利用したということも参考になると思います。

混乱している今こそ「嫌なものは排除してしまえ」という短絡的な姿勢ではなく、冷静に道筋をつけていく姿勢が求められているのだと思います。

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