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自分にとって好ましいと思う気持は相手への信頼感を強めます。また逆に自分にとって好ましくないと思う気持ちは相手への不信感を植え付けることになります。今日はそんな相手に対して抱く気持について考えてみました。

私達はどうしても

自分中心に物事を考えがちで、自分にとって相手はどうなのかという視点から物事を考える傾向が強いものです。

相手が自分を否定的に扱っていると思えば相手に対しても否定的に思いを巡らせます。その結果相手の言動の一つ一つを悪く解釈し、元々は何らかの誤解によって生じた感覚であっても本当に不信感で一杯になってしまい、いわゆる自分に敵対する関係として定着させてしまいます。いわゆる「敵か味方か」というレベルでいうところの「敵」になるわけです。

しかしこの「相手が自分を否定的に扱っている」と思う根拠が曖昧な場合が多いもので、共通の友人からの不確かな噂話や、相手の表現力の少なさによって誤解するというケースがほとんどだと思います。仮にそうであるならば、これほど非生産的で残念なことはありません。

そこで

いわゆる「敵か味方か」というレベルでいうところの「味方」として接することを提案したいと思います。そのためには「肯定的に扱う心遣い」が必要になります。

仮に否定的な見解を持っていても「それは違う」と言わないで、「自分もそうだと思っていたが、だんだん逆ではないかと思いはじめている」と自分の中で迷っているという形の表現方法を使ってみると良いと思います。

この「迷っている」という姿を見せることで、相手を否定しないで考える機会を持ってもらうことができます。相手にとってみれば「頼りない味方」という印象かも知れませんが、冷静に考える機会を持ったことで、極端な誤解による頑なな状況へは向かわずにすむと思います。

最近家族の間が

ギクシャクしているという話がマスコミなどを通して聞かれますが、この問題の根も同じところにあるのではないでしょうか。つまり本来なら家族は身内であり、信頼すべき味方であるべきものですが、それがどこがで不信感に変わってしまったのだと思います。

昔は家族が助け合って生活を支えるという側面が強かったと思いますが、経済的発展により個々での生活が可能になったことが、否定的な側面を調整していた最後の砦といえる共存という信頼感を失わせる大きな要因になったのだと思います。

最後に肯定的に扱うことによる

効能についていくつかあげたいと思います。

相手に対して「味方」として接することによって、安心感が生まれ、居心地を良くし、互いに協力しあうことができます。仮に何らかの不信を感じても「何かの間違い」と思うほどにその信頼感は高まります。

世の中には初めて会った時から、自分の身内のように感じられる人がいますが、その人はきっと相手のことを「味方」と思うようにしているのかも知れません。なぜならそのような気持というものは自然に伝わっていくものであり、相手の気持を頑なにさせない力を持つものだと思うからです。

世の中には様々な対立が存在しますが、仮に反対の立場であっても「味方」として接することで何らかの着地点が見いだせるとしたら、これほど好ましいことはないのではないでしょうか。

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