『ウクライナのポドリャク大統領府長官顧問は10日、ロシア軍は南部ヘルソンに地雷を仕掛け撤退後に砲撃する計画と指摘し、同市を「死の街」にすることを望んでいると非難した。』そうです。 |
ウクライナのポドリャク大統領府長官顧問は10日、ロシア軍は南部ヘルソンに地雷を仕掛け撤退後に砲撃する計画と指摘し、同市を「死の街」にすることを望んでいると非難した。
「ロシア軍はアパートから下水道まで、あらゆる場所に地雷を設置している。(ドニエプル川)左岸からの砲撃で街を廃墟にするつもりだ」とツイッターに投稿した。
ロシアのショイグ国防相は9日、ドニエプル川西岸から撤退すると発表した。この地域には州都ヘルソンがある。
ウクライナ軍はロシア軍がヘルソンから撤退したことをまだ確認できていないとしている。
ウクライナのグロモフ准将は会見で、ウクライナ軍の行動によりロシア軍に撤退以外の選択肢はなかったと語った。
「しかし現時点ではロシア軍のヘルソン撤退に関する情報を確認することも否定することもできない。われわれは計画に従って攻撃作戦を継続する」と述べた。
【REUTERS(ロイター) 配信】
記事の内容が
真実であるならば、これは国と国との戦争というよりは完全なテロ行為です。
市民を標的にした直接的な攻撃、インフラ施設の破壊、今回の報道にもあるような市の再利用を妨害するための地雷の敷設などウクライナ国民への執拗な嫌がらせが行われていますが、これはロシアが自国への攻撃がないということを見越しての行為に他なりません。
自国への
攻撃がある通常の戦争だと直接相手の軍を叩かなければ自国への侵攻(破壊)が進むため、相手市民を標的にした攻撃やインフラの破壊などの行為は二の次になるはずですが、今回の戦争ではロシアへの攻撃が行われないような「縛り(?)」があるためそれらが可能になっていると思われます。
その意味では卑怯極まりない戦争とも言えます。
現在
直接応戦してはいないものの武器や弾薬、軍事訓練などを強力に支援しているNATO軍が、ウクライナ領土で侵攻を排除するためだけの防衛限定参戦を行えば、このような多くの市民の不幸を早期に終わらせることができると思いますがそれを行ってはいません。
仮にNATO軍が防衛限定戦としての参戦を行うと今と何が異なるのでしょうか。全面的な支援という意味では全く同じで直接排除するという点での違いしかない訳で、その点がそんなに問題となるのでしょうか。
それにしても
このような卑劣な行為を平気で実行できる「独裁者」とは何なのでしょうか。
「独裁者の存在」ということについて世界中の人々が真剣に考える時期が来ており、これは決して避けて通れない重大なテーマに違いありません。
独裁者は
私兵と公兵で自らを守り、国のシステムを全て自分で操ることができるため公私で自由にやりたいことができます。
たとえ戦争になっても自らの富と安全は保証されているので何でもできると言っても過言ではありません。
近年他の国の独裁者もロシアの独裁者に倣うかのように、公私両面での(実行機関による)政敵排除に専念し、自らの安全を確保しつつ富を集積して更にその仕組みを強固に確立しようとしていることが懸念されています。
また
民主主義体制を敷く西欧諸国においても「第一(ファースト)主義者」による権力集中の動きが活発化しており「新たな独裁者への道が懸念されている」と言っても過言ではないと思われます。
「第一(ファースト)主義者」は自国が第一、自党が第一、自分の周りが第一、自分が第一というような考え方のため他との関係を断ち切る傾向が強く、その結果として自分(達)が良ければ良しという状況を作り出しやすく、その意味では独裁者への出発点となりうる可能性が高い人達と言えます。
私達はこれまで数々の不幸を重ねて独裁者の存在の危険性について学んできましたが、この独裁者の根絶こそ世界平和の大前提となることを改めて肝に銘じる必要があると思いますが、いかがでしょうか。
参考情報: