今日は日頃よくある「勘違い」について考えてみました。
よくテレビなどで笑い話のように言われる言葉に「つまらない物ですが」という言葉があります。これは身近な人に何か物をあげる時に使う言葉の一つですが、外国の人から見ると「つまらない物をどうしてあげるの」という素朴な疑問があるようです。
「つまらない物ならあげるなよ」
とことさら強調した表現で笑い話にすることが多いのですが、外国人だけでなく日本人の中にも本気でそう思っている人がいるようです。
しかしそう思っている人でも、初めて会う人に物をあげる場合は、自然とそのような言葉が口をついてでてしまうことがあるのではないでしょうか。この言葉は、日本という狭い土地で集団で暮らしてきた歴史を持つ日本人の思いやりの心から出てくる言葉なのだと思います。
人に物をあげる場合、
たとえ自分では喜んでくれると思う物でも、受け取った人にとっては迷惑になることが考えられます。「ダイエット中の人に甘いお菓子」、「既に同じような物を持っている」、「何らかのアレルギーでその物が苦手」など、理由はいろいろ考えられます。
「そのような場合は返ってご迷惑になるかも知れませんが」という、相手に配慮しての言葉と考えれば、何ら笑い話にするような言葉ではないことが分かります。集団で暮らす中での配慮の気持ちはどこの国の人にもあると思いますので、外国にもそういう類の言葉が必ず存在すると思います。
万が一もらった人の迷惑になった場合でも、
そのような配慮の気持が込められていれば、あげた人に対する非難の気持ちは生まれないと思います。言葉には歴史があり、色々な気持ちを代弁しているものであることに改めて気付かされます。
言葉の中でもう一つ「ご苦労様」という言葉がありますが、
これは目上の人に使ってはいけない言葉だと言われています。この言葉は「目上の人が目下の人をねぎらう言葉」だからというのが、その理由のようです。
しかし
言葉をそのように一つの意味に決め付けることには無理があると思います。「ご苦労」と言われれば確かにそうでしょう。「ご苦労様でした」、「ご苦労様でございました」、「ご苦労をおかけしました」と言われて、目上の人からねぎらわれているという感覚しか持てないかと言われれば、必ずしもそうでもないというのが正直な気持ちです。
「ご苦労様」の代わりに
「お疲れ様」が多く使われていますが、これは前に述べたことに配慮したものです。しかし「お疲れ様」という言葉は比較的、身近な人に用いる言葉で、たとえば郵便や宅配などの配達をしてくれる「初対面の人」に用いるには多少、違和感を感じます。
言葉というものは「そのようなものだ」と思い込んでしまうと、気持ちに刷り込まれてしまいますので、できれば決め付けずに柔軟に臨機応変に用いたいと思います。
言葉の思い込みについて述べてきましたが、他に「決まりごと」への思い込みもあります。たとえば「赤信号では横断しない」という人も多いと思いますが、これは信号機というものの意味を考えてみる必要があります。
外国の人には
赤信号で待っている日本人に「車が来ているわけでもないのに何で待っているのだろう」と思う人が多いと聞いたことがあります。これは「規則は守るもの」という考え方が強いために行われる行動の一つだと思いますが、このようなこともある意味で「思い込み」と言うことができます。信号機とは「交差する対象を捌くもの」ですから、交差していない状況では無いものと考えても良いものだと思います。
つまり赤信号でも
車が来ていなければ横断しても良いと考えます。ただし車が「かなり遠くにいる」、「微妙な距離に迫っている」、「道が曲がっていてよく見えない」など様々なケースがあり判断が難しいこともあります。この場合はやはり待つべきだと思いますし、子供の場合はむしろ「判断させない」方が良いのかも知れません。
また青信号の時には
車の方を見ないで横断する人もいるようですがこれは大変危険なことです。あくまでも信号機は「交差する対象を捌くもの」であって、捌きに従っているかどうかは別の問題です。「自動車の故障」や「居眠り運転」など様々な状況が考えられますので、青信号でも自分の判断を放棄せずに、しっかりと周りを見て横断すべきだと思います。
「判断」というものは、
ある意味では煩わしいものですが、「勘違い」、「思い込み」を避けるためにも日々、自分なりの「判断」を下して主体的に生きていくことが大切で、それを忘れてはならないのだと思います。