今、消費税の増税が検討されているようです。
「社会保障の給付が高齢化などで毎年3兆円ずつ増えていくから、消費税の増税が必要だ」という声があり、現政権による法案の国会提出も検討されているようです。
理由としては
主として年金などの負担が増えるため、払えなくなるので増税したいということのようです。いわゆる団塊世代が退職を迎え、年金を納める側から受け取る側へ移ってくることが最大の理由でしょう。
しかしそうなることは30年以上も前から分かっていることであり、当然そのために備えられていなければならないことです。団塊世代がたくさんの年金を納めている時に、将来の団塊世代の退職時の需要に備えて蓄えておかなければならないことは、誰にでも分かることです。
それをグリーンピアに代表されるような、さまざまな施設の建設費にじゃぶじゃぶ使い続けたのは何故なのでしょうか。当然先々の見通しを立てた上での施策だったと思いますが、どういう計算のもとに行われたのでしょうか。日本の行政官僚は優秀だという評価もあるようですが、この責任は誰にあるのでしょうか。
更に2004年から2017年まで
段階的に「厚生年金の料率」を上げることで100年先まで安心な年金制度になるとして、これまで実施されている施策はまやかしなのでしょうか。はたして行政府は信じるに足るものと言えるのでしょうか。
このような行政のことを
「なし崩し的行政」というのだと思います。「足りなくなるので増税します」といわれ、「はい、分かりました」で認めることなどできるでしょうか。
どんな優秀な人でも間違いはあるでしょう。しかしその場合でも、「何故間違えたのか」という分析が必要です。そしてそこにいい加減さがあった場合は、その責任の取り方が決められていなければなりません。
日本は1万円のお金を盗んでも逮捕される法治国家ですから、積み立てた年金資金の無駄遣いは当然罪に問われるべきです。そして罪になるとしたら1万円の盗みよりはるかに重い罪になるのが当たり前です。はたして誰がその罪で裁かれたのでしょうか。
テレビドラマで
行政官僚の裁量の問題が扱われることがあり、不祥事・不具合を起こしても配置転換(左遷)でおしまいということがありますが、それは現実においても実際に行われていることなのでしょうか。そうであるとしたら何という理不尽な世の中なのでしょう。
いわゆる専門家のことは
専門家でなければ裁けないと思います。
だから行政府の責任、政治家の責任をきちんと裁けるシステムの構築を急がなければなりません。そうでなければ、いくら増税しても壮大な無駄遣いにより、何年か後に「また足りなくなりましたので増税します」ということが必ず起こります。
責任を取らなくても良ければ、好きなようにやる人がたくさん現れると考えるべきで、何も手を打たないということは甚だしい怠慢と言えます。
今回の消費税増税の問題は、
単なる公務員の削減などでお茶を濁す問題ではありません。少なくても膨大な無駄遣いの罪など、行政府・立法府の罪を問えるシステムの立案・立法化を大前提にすることなしに実現させてはならない問題だと思います。「よく分からないから」と誰かに任せることは、結局自分たちの首をしめることにつながるということを理解すべきではないでしょうか。