もうかなり前から「実力主義」あるいは「成果主義」という考え方が、新聞やテレビなどでたくさん取り上げられてきました。それも大方、良い評価として取り上げられてきたと思いますが、この考え方について考えてみたいと思います。
日本人は
元来「和をもって尊し」とする文化の上で生きてきたと思います。その証拠に「個人の力は周りの多くの人達の協力があってこそ開花できる」と考える人がたくさん居ます。
仕事における手柄も同様で、たくさんの仲間の力があってこその手柄と考える方が自然で、その人が優秀で驚くべき洞察力あるいは発想力によって優秀な成果を収めたとしても、そのきっかけや基盤を築いてくれた仲間、先輩が居ればこそ、と考えることに異論を唱える人は少ないでしょう。
そのように総合力の成果と考えるべきものに対して、
一部の個人の力のみを切り離して評価を際立たせるやり方があるとしたら、そしてそれが横行するとしたら、組織全体に強い違和感を抱かせることになるのではないでしょうか。
実力主義や成果主義というのは、
たとえば会社の中で多くの人に教えられ、支えられてようやく結実したことに対して、直接の担当者あるいはその責任者のみを個人として評価する考え方です。この考え方は現実の経過に照らしても不自然と言わざるを得ません。
このような考え方が広がると、
一人一人が自分の手柄ばかりを考えて行動することになり、日本人が最も得意とする集団力が失われることになります。具体的には、全ての技術が個人の域内に留まり、連鎖的に発展する可能性を弱めることになりますし、先輩が後輩に何も教えず、勿論同僚には多くを伏せ、強いては会社にも伏せる事態にもなります。
何故、先輩が後輩を教え、育てるのでしょうか。何故、同僚同士が協力しあうのでしょうか、何故、会社に高い技術を残そうとするのでしょうか。それは全体で成果を残そうとする姿勢が生み出す行動で、全体としての評価こそが現実的で最も自然な考え方であることを示しているのだと思います。
日本には古くから
「年功序列」という考え方がありました。この「年功序列」という制度下では、新人の給料は安く、中年になる程に給料は高くなり、高年になると次第に下がる傾向があります。
若い頃は、それ程お金を必要としていませんが、中年になれば家のローン、子供の教育費などとたくさんのお金が必要になります。そしてそれらが一段落すれば、再びお金は少なくても良くなります。
「年功序列」という制度は、
このような現実生活に適応したシステムのもとに生まれたもので、結果として安心して多くの仲間と技術を分け合い、助け合っていけるシステムだと思います。このことを踏まえれば「年功序列」という考え方について、もう一度考えてみる価値は充分にあると思います。
確かに、
それ程実力がないにも関わらず高い給与を受け取るという人も出てきますが、そのことは当人も関係者も皆知っているので、当人は自然と縁の下でそれなりの仕事を担うことになるし、それを見てそこからの飛躍を見守る気持ちが、関係者にも生まれてくるものです。
大きい目で見れば、そういう人をも抱え込んで力を統合できるシステムであり、これが集団力の源泉とも言えるのではないでしょうか。
一言で
「成果を評価する」と言っても、現実には不可能なことだと思います。良い仕事に当たれば成果が上がるのは当然で、そのような仕事が全員に振り分けられなければ不公平になり、割の良い仕事を奪い合うといったことが増えてくることも考えられます。
集団で行われるスポーツを見ると大変参考になります。その時々で新しいヒーローが生まれ、皆でマイナスを補っていけるチームこそがどのチームよりも強いことが証明されています。
私達はもっと長い、大きな視点をもって、一つ一つを見直す時がきているのではないでしょうか。