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『私のかねての主張は、現行のNHK受信料を廃止し、そのコンテンツはネットに移して、他の民放と一緒に共通プラットフォームで動画配信し、そこに受信者は「視聴料」を払うか、または国が税金を投入するかというものだ。これが放送から通信へ移行した現在の状況にふさわしいやり方だ。』という見解が表明されていました。


 

受信料にまつわる法理的な解釈
そこで、これまで書いてきたこととは少し角度を変えて、受信料にまつわる法理的な解釈、つまりこれまでの裁判所の判決がいかに「放送の時代」を前提としていて、それが現在の「通信の時代」にそぐわないかを明らかにしていこう。

受信料判決の「親判決」というべきものが、2017年12月6日に最高裁判所大法廷で下された判決だ。NHKが受信契約の申し込みに応じない男性に対して起こした裁判である。最高裁まで争われた結果、大法廷は「受信契約を義務づける放送法の規定は、憲法に違反しない」という初めての判断を示したため、当時かなり注目された。

判決文は非常に長く、いろいろな論点が盛り込まれているが要点をまとめると次の二つになる。

1.NHKだけが公共の福祉のために、あまねく日本全国において受信できるように放送を行うことを目的としている。

2.NHKは民間放送とは違って営利を目的としない公共的性格を持っており、広告が禁じられているので受信料を徴収することができる。

【デイリー新潮 配信】

表明された見解には

「受信料を徴収できない根拠」として『NHKだけが「あまねく日本全国において受信できる」放送局ではなくなった』こと、『NHK独自の公共的性格があるのか、といえば、それは見当たらない。歴代の総務省のNHK受信料を審議する委員会のメンバーは「NHKの公共性とは何か」と問い続けてきた。つまり、公共性などないのだ。NHKはこの公共的性格という点でも、受信料を徴収する根拠を持っていない。』こと、などの指摘がみられます。

つまり

「最高裁判所大法廷で下された判決理由はもはや現状では的外れになっている」という指摘がなされているものと思われますが、その指摘には全く同感です。

今や「たとえNHKがなくても全国放送は可能」ですし、「たとえNHK以外の民間放送でも(広告を流していても)公共的性格を持つことは可能」です。

結局

「NHKを中心に放送網を拡充する」という時代は終わったのであり、それにも関わらず受信料を徴収するという行為は大きな「社会的矛盾」を引き起こしていると言っても過言ではないと思われます。

裁判所は法に則って裁く所なので「適法か違法か」と問われれば、たとえ現状にそぐわない古い法律であっても「適法」とせざるを得ない現実があることを考慮するなら、最高裁判所大法廷の判決に無条件に従うことはある意味で筋違いで、つまりは現状にあった法律に改定しない立法府の怠慢を指摘すべき問題ということができるのではないでしょうか。

法律とは

「本来の在り方」に基づくべきで、仮に現状がその在り方から逸脱する場合は適切に改定されるべきものだと思います。

結局政治が「優柔不断」であることを示す一つの現象を国民が目の当たりにしている訳ですが、ただそういう政権を選択したのは我々国民であり、つまりは他に託すべき政治家が見当たらないということが国民にとっての最大の不幸なのかも知れませんね。

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