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『日本学術会議の任命拒否問題で、日本学術会議前会長の山極寿一・京都大前総長が京都新聞「天眼」欄に寄稿した。』とのことで、その記事をご紹介します。


 

日本学術会議の任命拒否問題で、日本学術会議前会長の山極寿一・京都大前総長が京都新聞「天眼」欄に寄稿した。

そもそも「学問の自由」とはいったい何からの自由であるのか。それは国家権力からの自由である。私はこの6年間、京都大学の学長として世界各国の学長が出席する国際会議で大学のあり方を論じてきた。学長たちが口をそろえて主張したのはアカデミック・フリーダムとユニバーシティ・オートノミー、すなわち学問の自由と大学の自治であった。いかに国家の圧力から研究する自由、発表する自由、教育する自由を確保するか、そしてそれを実現するためには大学の自治が不可欠ということである。

ただ、この学問の自由は何を研究してもいいということではない。研究者とは長年の研鑽(さん)を経て突出した知識と技術を持つ職業人であり、その能力は同分野の学者たちによって不断に評価されねばならないし、社会の福祉と発展に寄与する上で明確な倫理意識を持たねばならない。日本学術会議では2006年に科学者の行動規範を定めており、「科学がその健全な発達・発展によって、より豊かな人間社会の実現に寄与するためには、科学者が社会に対する説明責任を果たし、科学と社会の健全な関係の構築と維持に自覚的に参画すると同時に、その行動を自ら厳正に律するための倫理規範を確立する必要がある。

3年前に、私が日本学術会議の会長になった時、前会長から引き継いだのはこの倫理に関わる2つの課題であった。一つは人間の生物学的な資質に係る「生命科学の倫理」、もう一つは社会に係る「軍事的安全保障の倫理」である。前者は2年前に中国で遺伝子編集によるデザイナー・ベビーの誕生を契機に、世界と歩調を合わせてわが国でも急速に倫理規定が制定された。後者はわが国独自の歴史的背景があり、1950年と67年に日本学術会議は科学者が戦争に加担してしまった反省から、「軍事目的のための研究は行わない」という声明を出している。戦後75年にわたって平和を維持してきた日本独自の科学者倫理であり、私が会長になる直前に日本学術会議はこの声明を継承する旨の意思を表明した。

政府はこれが気に入らなかったようで、会長になってから私は度々「政府に協力的でない」と不満を表明されてきた。今回の任命拒否がこれに起因するとは思いたくないし、政府がアカデミアを政府の思い通りに動かそうとしているなら言語道断である。民主主義国家でアカデミアの人事に今回のような国家の露骨な介入を許している国はない。

【京都新聞 配信】

報道における

次の二つの論点について考えてみたいと思います。

二つの論点と言いますのは、一つ目が『そもそも「学問の自由」とはいったい何からの自由であるのか。それは国家権力からの自由である。』という論点で、二つ目は『(・・・略・・・)1950年と67年に日本学術会議は科学者が戦争に加担してしまった反省から、「軍事目的のための研究は行わない」という声明を出している。』という論点です。

まず一つ目の

「学問の自由というのは国家権力からの自由を意味する」という論点についてですが、これは言い方を変えると「国家権力による学問(研究)への干渉を受け入れない」ということになるかと思いますが、私はこの考え方はあまりにも「政治に対して頑な過ぎる」という印象を抱きました。

多くの物事には優先順位というものがあり、それを制御しているのが政治だと思いますが、仮に政治が今の時代的背景から「ウイルス研究に力を入れてください」とお願いすることは干渉に当たるのでしょうか。

過去の

軍事独裁政権の時には軍事研究への協力を強制されたかも知れませんが、それをもって今後一切の協力を拒絶する(自由に行動する)というのはいささか乱暴な考え方だと思います。

「権力は腐敗する」という言葉が残されているように、「国家権力が国民の自由を制限し過ぎるという危険性は常にある」とは思いますが、そのことを危惧するのであれば、「いかにして民主主義を守るか」という学問の研究を深めることが学問という立場に立つ方々の姿勢であるべきだと思います。

これは二つ目の

「軍事目的のための研究は行わない」という論点に対しても言えることですが、これも「いかにして軍事力の行使に制限を加えるか」という安全保障という学問の研究を深めるべきで、より重要な対象についてはあくまでもその対象となる学問の究明という姿勢に徹するのが科学者の立場として適切なような気がします。

つまり政治が腐敗したら(科学がいくら政治と距離をとっていても)強制的に政治の意図する状況に組み込まれることは目に見えていますので、そうならないためにも「制限を加える研究に力をいれる」ことが肝心ではないでしょうか。

現実問題として

「他国が領土問題で干渉を強めてきたときに科学はどうすべきか」ということも常に考えておく必要があると思いますが、単に「軍事には関わらない」という姿勢では自国の自由や平和を保つという課題に対して無力な存在となり、つまりは現実的な対応という意味では何ら貢献できないと思います。

私は現実的な優先順位を決めて施策を打ち立てることが政治の使命であり、さまざまな対象に対する研究により真理を究明することが科学の使命だと思っていますので、たとえ軍事研究と言えども協力することに問題はないと思っています。

そして

過去の軍事独裁政権によって無謀な戦争が引き起こされたことを反省するなら、「そのような政権が何故誕生したのか、そしてどうすればそれを防げたのか」を究明し、また軍事技術の悪用を憂慮するなら、「限定的な使用制限を可能にする方法や、使用を緊急停止できる安全機能に関する方法」を究明すべきだと思います。

今回の報道では日本学術会議が政治的判断(国家権力に協力しない、軍事に関わらないという判断)を行ってきたことが分かりましたが、それでは軍事独裁政権の誕生ということに対する根本的な解決には至らないと思います。

民主的な政治には大いに協力し、なおかつどのような過程を経て軍事独裁政権へと変貌するのかといった研究を深めるなどの行為によって、民主的な社会を持続させることこそが科学者のあるべき姿のような気がしますが、いかがでしょうか。

 

参考情報:

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