知人(H.O)さんからメールがきました。 メールの内容を以下にそのまま掲載します。
詩集「言葉の河」- 詩「祈石にて」の読後感想です。
詩を読んだ後の、心に残った光景です。
『銀河の果てからの通りすがりの報告者が、積丹半島一帯の土地の牧神となり、今では凍てついた道道998号のブラックアイスバーン上に冷たく横たわっている。彼は白い風土と緑の国語の合力に捩じ切られたままついに歌うこともできなければさりとて歌わないでいることもできなかった。彼は「祈石」について次のように報告している。-祈石と呼ばれる場所で歌うことと歌わないことの断崖の淵を覗いて怯えた私には、それ以上のことを報告する資格がない-と。いつからか「祈石」に根城をもつトドの一族は彼を「あなたはただの屑だ」と声高にかつ明快にその主唱を鳴き交わした。白い風土と緑の国語の糾合に成るたおやかな地勢から陥没した詩のカルデラにそのような主唱の風が巻き昇るとき、歌わない意志によって詩の実質をかたちづくる記号の都市が、歌うことを知らない集落一帯と隣り合わせに、溶けてしまいそうな境界の帯を鈍く飴色に光らせてゆく。』
このような光景や、振る舞い、思いなどが、私の心に残りました。
この詩から伝わってきた思いです。
『銀河の果てからやってきた積丹半島一帯の牧神は、緑の国語で歌い、それを報告しようとしたが、白い風土の中には歌うことを知らない集落があり、そこでは緑の国語が受け入れられず、歌おうとしたが歌えなかった。そんな中、歌わない意志によって詩の実質をかたちづくる記号の都市が、歌うことを知らない集落との境界を鈍く飴色に光らせていった。「祈石」では、歌うことと歌わないことの断崖の淵ができてそれを覗いたときに、それ以上のことを報告する資格がないと悟った。』
このような思いが、伝わってきました。
厳しい環境というものは、
見方によっては、どこにでも存在するものですが、そこに何か安らぎとなるような習慣を持ち込もうとしても、受け入れてもらえないことが多いと思います。
例えば厳しい生活を送っている人達に、「少し余裕をもって働きましょう」といっても、その言葉が受け入れられることはなく、むしろ「もっと仕事が欲しい」と、懇願されることになるのでは、ないでしょうか。
理想と現実との乖離という言葉がありますが、
どんなに理想を追求しようとしても、厳しい現実に遭遇したときには、その限界に失望し、理想への熱も次第に冷めていくものです。
理想を実現するには、厳しい現実との溝を埋めていくことが大切で、そうすることによって初めて、理想への意志が芽生え、次第に大きくなっていくのだと思います。
社会の制度として、
あるいは豊かな人生の仕組みとして、何らかの理想を掲げることは大切ですが、その実現に当たっては、現実との調和を第一に考える必要がある、ということについて、改めて気付かされた思いです。(H.O)
以上が知人(H.O)さんからメールでした。またメールがあり次第掲載させていただきます。