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知人(H.O)さんからメールがきました。 メールの内容を以下にそのまま掲載します。

詩集「言葉の河」- 詩「異星」の読後感想です。

詩を読んだ後の、心に残った光景です。

『あの星では、言葉がガス化して塵になっていた。その塵を採取して、ようやく判読できたのは「神」、「愛」、「いつわり」の三つの言葉だけだった。生物は互いに自分の姿を相手に合わせようとするから、言葉の硬度を保てるはずもない。そう知ったとき、娘と二人ですっかり楽しい気分になった。羽毛みたいにふわふわと、吐き出すものばかり溜まり続ける船内で、「おまえは美しいぞ」と囁く。言葉じゃないものを、きっと信じているからだな。』
このような光景や、振る舞い、思いなどが、私の心に残りました。

この詩から伝わってきた思いです。

『生物は互いに自分の姿を相手に合わせようとするから、言葉の硬度を保てるはずもない。そんな言葉はガス化して塵になって、ほとんど判読できないものとなる。結局、そんな羽毛みたいに軽く、吐き出すものばかり溜まった言葉は、いつわりそのもので、当然それを信じても虚しいだけだ。』
このような思いが、伝わってきました。

多くの人が集まり、

互いに協力し合って何かを行うときは、各人が、気持や意見を相手に伝え、互いの意思を通じ合うことが、必要不可欠といっても過言ではありません。

しかし互いが相手を気にして、相手ごとに対応を変える(言葉でいつわる)と、却って、不信感が募ります。それは各人の思いが、いつわりとして相手に届くためで、意思を通じ合うはずが、意思を疑うことになるからです。

社交辞令ということもありますが、

本音の部分ではしっかりと、思いを言葉として伝えなければならず、それによってのみ、互いの言葉を信じることができ、また互いの意思を通じ合うことができるのだと思います。

もしその人の言葉が信じられなくなったら、もはやその人の思いを伝える手段はなくなります。言葉を安易に用いることへの戒めとして、心に留めたいと思いました。(H.O)

以上が知人(H.O)さんからメールでした。またメールがあり次第掲載させていただきます。

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