知人(H.O)さんからメールがきました。 メールの内容を以下にそのまま掲載します。
詩集「言葉の河」- 詩「ROU」の読後感想です。
詩を読んだ後の、心に残った光景です。
『国家の残像も、背後の怒りも、土管の内筒で薦(こも)にくるんで沈めてしまえば、美しい夕凪のときがきて、快調になれる。自己への言及が開け放たれ、座りの良さを感じる。しかしそれもつかの間で、それらは日暮れとともに擬態を解いて、磯にあがってくる。また侵しあうことになる。』
このような光景や、振る舞い、思いなどが、私の心に残りました。
自分というものを無くして、
いろいろな言及を、軽口と共に聞き流してしまえば、心が開け放たれて快調になれるのだが、どうしても言及されたことの真意を考えてしまい、互いの領域を侵しあうことでしか、自己確立への道はない、という強い意志が伝わってきました。
自らの生き方、考え方というものは、
その人独自の価値観から生まれるもので、それは他者から否認されるようなものではなく、むしろ結果により、自己修正すべきものだと考えます。
人は全て自立した存在であり、自己決定で生きるものです。そこに必要なものが価値観であり、その基盤を打ち砕くことは、その人への否定を意味します。
悪い結果が生じ、
それが、その価値観に基づいたためと、自認できたときのみ、唯一、自ら修正すべきものであると考えます。
「人の数だけ意見がある」という、言葉が残されていますが、人は皆、異なる存在で、独自の価値観に従って生きることで、初めて自立して生きられるのだと、思いました。(H.O)
以上が知人(H.O)さんからメールでした。またメールがあり次第掲載させていただきます。