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知人(H.O)さんからメールがきました。 メールの内容を以下にそのまま掲載します。

詩集「言葉の河」- 詩「言葉の河」の読後感想です。

詩を読んだ後の、心に残った光景です。

『眼前に大きな河のようなものがゆったりと流れ、その静謐なかがやきとうねりの消長を見続ける。遠い対岸への思いを土嚢のように積み重ねる。夜になると、腐った果実のような言葉が、集まってくる。それらはいろいろなものを引きずり、次々川床深く沈んでしまう。この河のようなものの水源と河口が気になるが分からない。「言葉の河」と呼ぶことにしたこの流れについて想像すると、「言葉は、生けるものには、ただ当座の間貸し与えられているにすぎない」という教訓に思い至った。では「何に基づいてその言葉を借りるのか」というと、起源と終末をはらむ対岸への思いではないかと仮定してみた。「言葉の河」に落ちていく人々を見て、対岸への思いを重石にして、落ちまいとこらえた。そのとき「言葉の河」から掬(すく)いだして陽光で干した「屑」が対岸への思いと同じものであることに気付いた。』
このような光景や、振る舞い、思いなどが、私の心に残りました。

「言葉」というものは、

多くの人々によって使われるが、それを使用した人々の「思い」は様々で、予想することは難しい。従って単に使用すると、自分の「思い」とは、かけ離れた「言葉」を選択することになり、「言葉」の輝きが失われ、「言葉」だけがだらだらと流れ、拡散することになる。

大切なことは「思い」にふさわしい「言葉」を探して、真意を伝えるということで、そうすることによって初めて「言葉」は、おかしなものを引きずらずに、河口まで到達することができる、という「言葉」への強い思いが伝わってきました。

私たちは、日頃、

ほとんど瞬間的に「言葉」を選んで使っていますが、その「言葉」が生まれたときの「思い」を知ることはできません。その意味では、ほとんどの「言葉」は借り物であることは否めません。

その借り物の「言葉」を、より適切に選び、用いるには、その「言葉」が生まれた本来の「思い」を、できる限り推測し、自分の「思い」を伝える「言葉」としてふさわしいかどうかを、見極めようとする気持が必要で、そうすることによってのみ、自らの「思い」を適切に伝えることができる、といっても過言ではないと思います。

その意味では、自らの「思い」を伝えるために、より適切と思われる「言葉」を作る(字を選ぶ)、という姿勢があっても良いのかも知れません。

私たちは、

いつも決まった「言葉」を使いがちですが、その時の「思い」を伝えるために、より適切な「言葉」を探す習慣を身につけることで、表現が格段に豊かになり、その結果、「言葉」についての思い込みや、分かったつもり、などといったこともなくなり、本来の「思い」を屈折させることなく、相手に届けることができるのではないか、と思いました。(H.O)

以上が知人(H.O)さんからメールでした。またメールがあり次第掲載させていただきます。

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