今日は「根源を辿る」ということについて考えてみました。
日頃生活していて何かを説明するとき、どこまで深く説明すべきか迷った経験はないでしょうか。
物事には「そうなるにはそれなりの原因がある」ものですが、その原因は一つとは限りません。むしろ別の原因が関与することが多いもので、その意味では原因の連鎖によって一つの結果がもたらされるということができると思います。
たとえば交通事故の例ですが、
車で歩行者をはねたという事故が起こったとして、その直接的原因は「歩行者が車の前に飛び出した」ということであっても、その飛び出した原因は「歩行者側の信号が青になった」ということがあります。つまりは歩行者は「信号が青になったから飛び出した」ということで、やはり確認して渡るべきではありましたが、車の側の信号は赤だったことになるので非は車の側にあります。
このように直接的な原因と、それをもたらした原因のように原因の連鎖を辿ることは重要で、上記の例のように善悪が逆転するという過ちを防ぐことを思えば、できるだけ根源まで辿るべきだと思います。
その意味では根源まで辿らなければ正しい評価ができず、従って正しい選択もできないということがいえると思います。
この根源を辿ることは、
考えの異なる人達を統合する場合にも効果的です。つまりお互いの違いを知った上で、それを認めて共同行為を行うことができるので、その分結束に乱れが生じにくくなるからです。
たとえば経済政策でも大衆に重きをおくか、一部富裕層の牽引力に重きをおくかでは、その根は随分違ったものになりますが、それを承知で各々の考え方の人達が共同で政策を作るとなると、互いに妥協しながら作ることになり、結束自体は保たれるものです。
お互いが妥協することで中途半端なものになるという指摘もあると思いますが、極端な政策よりは好ましいと考えます。
人との関係も
「いい関係」を築くには、その人の考え方の根源に迄迫ることが大事で、それによって「相違点」と「一致点」が次第に浮き彫りになり、それを承知で付き合うことで、決定的な決裂は避けることができます。
一番悪いのは上辺だけの理解で共同行為を行う(付き合う)ことです。正しい側面はさまざまな形で存在するもので、決して一つの形ではありません。なぜそう考えるのか、どういう価値観を持っているのか、それらを深めていけばお互いの良さを知ることができ、異なる価値観にも配慮できるのだと思います。
人はそれぞれたくさんの相違点をもつ生き物ですから、互いにそれを認める合うことが、長く付き合える秘訣なのではないでしょうか。