「自由と平和」、昔から言われている有名な言葉です。今日はこの言葉を少し掘り下げてみました。
「自由に競争できる社会こそ素晴らしい社会」だと言われることは少なくありません。これは「競争は人の能力を高め技術などの進歩に貢献する」という側面を評価するものだと思います。
一方「新自由主義経済」という言葉で形容される自由もあります。これは強いものがどんどん大きくなって、その力で経済を牽引させるというもののようです。
この「自由」と一緒に用いられる言葉に
「平和」という言葉があります。こちらは「存在が脅かされるほどの脅威のない状態」を表す言葉ということができます。大事なことはこの「自由」と「平和」が併記されるところにあります。
つまり「自由」を推し進めると
他を淘汰する傾向が強くなり「平和」が脅かされるし、逆に「平和」を推し進めると他の勝手な行動を制限する傾向が強くなり「自由」が脅かされます。この二つの言葉がもつ、それぞれの「脅威」を「軽減」し、バランスをとる狙いをもって、この二つの言葉を併記したのではないかと推測できます。
「自由と平和」が互いに成り立つためには、
あるところで線を引く必要があります。つまり「自由」が脅かされるほどの「制限」や、「平和」が脅かされるほどの「淘汰」を抑制する必要があります。
きっと「自由は大事だが平和を脅かすほどであってはならない」、「平和は大事だが自由を脅かすほどであってはならない」というようなメッセージが込められているのでしょう。
一方が他方を脅かさないということは、
そのような「秩序」が必要で、この「自由」と「平和」を維持するには、そのための「秩序」が必要だということになります。「秩序」が無ければ「暴走」を止められず、両方のバランスが失われます。
従って単に「自由と平和を守る」という言い方ではなく、「自由と平和を維持するための秩序を守る」という言い方にすべきだと思います。双方が互いに干渉する場合その両方を守ることには意味がなく、秩序を制定しそれを守ることに意味があると思われるからです。
共に存続できる境界を見つけることが、真に「自由と平和」を守ることになると思いますがいかがでしょうか。