昔から「自由な競争は望ましい」という考え方があり、そのような意味の話を聞く機会も多いのではないでしょうか。今日は「自由な競争」とはどのようなものなのかについて考えてみたいと思います。
「自由な競争」と言われて思い出すのは
日本における「戦国時代」です。互いに城を構え、他の国(城を持った武将)と命を懸けて戦いに明け暮れた時代です。
誰かが天下統一を果たすまでは、秩序は失われ、多くの人が殺し合いという渦に巻き込まれていきました。弱い者は全てを奪われ、裏切りや陰謀が蔓延し、不信の中で多くの命が簡単に失われていきました。
果たしてあの戦国時代は「自由な競争」の世の中だったのでしょうか、そうではなかったのでしょうか。
「自由な競争」とは
いわゆる無制限的な競争と言うことになります。その意味では、かの戦国時代は完全に近い「自由な競争」が行われたと言えます。
いわゆる欧米列強国によるアジア・アフリカの植民地化も、その後の世界大戦も全て「自由な競争」の為せる結果と言えます。要するに強い者が勝ち残り、弱い者が犠牲を強いられる世の中を作り出すものが「自由な競争」だと言うことができます。
この「自由な競争」は
一握りの権力者を生み出し、大多数がその権力者に服従するという世の中に変えてしまうため、絶えず権力者への挑戦が図られ、その意味では混乱を内包するシステムと言えるのではないでしょうか。
一方「競争」自体は最終的に個人の能力を高め、より多くの価値を生み出すきっかけになるという側面を持っています。それは「競争」により多くの刺激を受けるため、その対応を図ることから派生するのだと思います。
その意味では
「秩序ある競争」、「制限された競争」であるなら望ましいシステムだと言うことができるのかも知れません。
刺激により個人の能力が高まる一方で、「権力者」も「犠牲者」も必要以上に暴走することがないため「混乱」や「衰退」が避けられ、結果「安定」が作り出されるシステムと考えることもできるからです。
現在TPPというシステムが政治課題に上っています。これが「自由な競争」なのか「秩序ある競争」なのか私達は良く見極める必要があります。
過去の歴史を見ても
「革命らしき革命」は破壊するだけで、建設には至りません。大きく歴史を後戻りするだけで、ただ権力者を変えるだけといっても過言ではありません。「改革から始めてそれを加速する」ことこそ「真の革命」をもたらすものと信じています。
かの戦国時代は多くの不幸を生み出しましたが、一方でそれまでの身分制度を破壊し誰もが「武士になることができる」ということを教えました。今の日本では何十年も変わらない「仕組」、「制度」、「体系」などがたくさん残され、国民の生活向上のための障害となっています。
勇気を持って
新しいシステムを導入する「創意」と、弱者に配慮したシステムを生み出す「英知」を柱に、この日本を立派な国にしていきたいと考えている人も多いのではないでしょうか。