今日の話題は選挙です。選挙にもいろいろありますが、国会議員の選挙ということで考えてみたいと思います。
この国会議員の選挙は国民の代表として国民のために必要な法律を作る人達を選ぶものあり、そのような観点から見ると、候補者に求められるのは「どのような法律を作ることで、あるいは廃止することで、国民の生活をどのようにしたいのか」を明確に示してくれることだと思います。
現実の選挙(活動・運動)では
その点が明確に表明されているでしょうか。「皆さんが安心して住める国にします」というようなことは次々と口にしますが、「どのようなことが安心して住めることなのか」、「そのためにどのような法律を作ろうとしているのか」を明確に示しているでしょうか。
政党単位では、いわゆるマニフェストで具体的な立法目標が示されるようにはなりましたが、実際の政権運営においてそれが守られているとは言えないのが現実です。また党の中に個人が埋没してしまい「議員個人」の明確な立法目標としてのマニフェストは明らかにされていないということも現実の姿の一つと言えます。
問題を整理すると、
「個人としての立法目標は作成可能なのか」、あるいは「政党としての立法目標は達成可能なのか」ということに大別できると思います。これらが曖昧なままでは選挙結果に満足できる日は永久に来ないと言っても過言ではなく、そうなることで選挙離れが進み、国民の審判が為されず、国民のための政治がより不毛化することになります。
まず個人としての立法目標は
作成可能なのでしょうか。「このような法律を作りたいと思います」と言うことは、それによりどういう影響がでるのかの裏づけが必要になります。議員には政策秘書という専門家を雇う費用が支給されているようですが、その人を加えたとしても目標とする立法の影響を調べることには無理があると思います。
次に政党としての立法目標は
達成可能なのでしょうか。これもまた、その裏づけのためには国の財政状況や、過去に定められた法律との関係や、諸外国との関係などさまざまな検討が予想されますので、立法目標作成時の裏付けとしては充分であっても、その達成のための裏付けという点ではやはり難しいということになります。
さまざまな面からの検討を加えるとなると、国の専門家による協力(検討に参加してもらうなど)が不可欠で、それを得られない政党や議員(政策秘書)では難しいということになります。
このことは国会議員を選ぶ選挙が
立法員を選ぶ選挙だとすると、政党や議員個人を選ぶことでは完全とは言えず、その意味では方法自体が問われることになります。
結局「可能かどうか分からないが、このような法律を制定することで、こういう世の中を目指す」という程度で良しとするしかないようで、それが現実的な判断といえると思います。
そのように考えると、選挙というものは「立法員」を選ぶのではなく、「立法の方向性を示す人」を選ぶということになります。つまり方向性を示すのが仕事で、そのあとは多くの人達の議論に任せるということでかまわないということを意味することになります。
ここ何年か
マニフェストがもてはやされてきましたが、国民がそれを判断する場合の心構えを変える必要があります。マニフェストとは具体的な立法目標を定めたもので、大ざっぱな裏づけの根拠によりその可能性を確認しているに過ぎないものだということです。だからそれが達成できなくても裏づけの根拠が変化したのならしょうがないと考えることになります。
そのように考えるなら
議員個人として、「立法の方向性」を示すことも、「大ざっぱな裏づけの根拠」により可能性を確認することも可能です。政党の立法目標も同様に考えることになります。政権を取ると国の行政を担うことになりますが、やはり裏づけの根拠が変化したのなら方向性がずれるのはやむを得ないことと考えるしかありません。
その意味では「裏づけの根拠」をできるだけ正確にすることが方向性を保つ意味で重要になります。そのためには、行政府(官僚)による政党や議員(候補者)に対する情報公開や協力が幅広く行われなければならないし、それを強化する仕組みが確立される必要があります。
本来は情報公開が進み、
候補者が党に一任ではなく、「一人一法律作成」を前提に立候補し、党はそのどれを党として公認するかを決めて戦う選挙戦こそが、立法員を選ぶ選挙のあるべき姿だと思います。
まず政党があり、次にその幹部への忠誠心があり、議員個人の主張は二の次という状況は、国民にとっては不毛です。議員個人を前面に出して国民に見せることが最も大切なことと言えるのではないでしょうか。