知人(H.O)さんからメールがきました。 メールの内容を以下にそのまま掲載します。
詩集「言葉の河」- 詩「RURU」の読後感想です。
詩を読んだ後の、心に残った光景です。
『既視の象(カタド)りに閉鎖された経歴を語りひさぐ者の末裔としての、あるいは賑やかな供血者の外来という異化の差し入れや、奥行きを演出する者の先駆けとしての、彼女の地方を物語の湿地に設営することにきめた。開設がきまり、それを祝う一方で、さまざまな臆断が黴(カビ)のように貪り、やがては次々に花ひらいてゆく新種の物語から、自治の幻影が絶え、背後の内情が再分配され、そこに身の廻りのことばを投げ入れてもむだだった。錯誤を負うところの無実の差異が摘発されるべきで、善であると信ずる同一性の方向に沿って地方の走査を続行すべきだった。やがて物語の湿地から、描かれた図である最後の丹頂が飛び立っていった。』
このような光景や、振る舞い、思いなどが、私の心に残りました。
この詩から伝わってきた思いです。
『既存のものとは異なる価値観によって、新たな体制を築くことにしたが、さまざまなことが根拠のない憶測で決められ、望んでいた新しい試みも変質して、その独自性も失われ、これまで通りの再分配が行われていくのを、止められなかった。事実とは異なる差異を摘発し、善と信じる方向に沿って考えを巡らせるべきだったが、最後の機会も失われた。』
このような思いが、伝わってきました。
何か新しい試みを企画しても、
多くの人の、ある意味では無責任な憶測や、それまでの慣習に委ねることの安易さがもたらす消極性によって、その独自性が変質するということが、意外に多いものと推察されます。
そんな時には、事実と異なる点を洗い出し、本来あるべき方向へのズレを察知して、それを修正していくことが大事で、そのためにも、少しでもそれを怠ると、慣習によって押し流されることを、理解しておく必要があるのかも知れません。
常に、ゆくべき方向を見据え、逸れることのないように調整する信念と、個別の検証を欠かさない意志の大切さについて、改めて考えさせられました。(H.O)
以上が知人(H.O)さんからメールでした。またメールがあり次第掲載させていただきます。