冤罪に思う

冤罪は司法による重大な犯罪といえるのではないでしょうか。

冤罪という言葉を聞くたびに何とかならないものかと思います。自分が犯してもいない犯罪で裁かれ、償うことほど辛く、理不尽なことはありません。その人にとっては取り返しがつかない人生を送ることになります。

人間の能力には限界があります。

裁判官がその現場を目撃していない限り、完全に正しい判断は下せないでしょう。「できるだけ正しい判断を」という現実があることを認識すべき立場にある人ならば、冤罪が疑われる新しい事実が見つかった場合は、たとえ判決が確定していても、直ちに再審が為されるべきと考えるはずです。

指紋やDNAなど、正しい判断を下すための科学的根拠は年々進歩しており、冤罪を根絶するためにも、もっと発展することを望んでいます。テレビドラマでは様々な事件をテーマとして、人間模様を描いていますが、その中の一つに興味在るシーンがありました。

それは

ポリグラフ(嘘発見器)を用いたドラマでした。そのシーンの中では脳指紋という言葉も使われていました。「人間は一度見たものを意識的には忘れていても、脳の深い部分では認識しているのでそれを見せた時に、脳の変化として現れる」というような内容だったと思います。

詳しいことは分かりませんが仮に容疑者の取調べでそういう機器を用いることによって、なにがしかの問題が生じるとしても、再審の判断にはより積極的に用いられて然るべきではないかと思います。

特に新しい事実が出てきた場合は

そのような科学的手段を駆使して、少しでも「冤罪」というとてつもなく重い間違い(司法の重罪?)を防ぐ努力を惜しまないことが、多くの国民の共感を得られるに違いないと思います。

世の中は様々な面において発展を続けており、科学的根拠も日々発見・検証されていることと思います。それらを用いることをためらうことは、決して正しいことではないと思います。

冤罪については全国民が自分がそうなった場合を想定してみることで、当事者の不幸に真剣に向き合うことができるし、またそうしなければならないのだと思います。

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