詩「幸福博士」を読んで
知人(H.O)さんからメールがきました。 メールの内容を以下にそのまま掲載します。
詩集「言葉の河」- 詩「幸福博士」の読後感想です。
詩を読んだ後の、心に残った光景です。
『キャンプ地に朝がひろがり、出発のための撤収作業がはじまった。彼らの一団は最後に火の始末を確認した後、幸福博士と呼ばれる者に声をかけ、握手をし、目礼を交わし、誰もが慌ただしく去って行った。一団の最後尾が遠方の樹林に隠れて暫くしてから、博士は、テントの寝袋に潜り込み、夢の中で手帖に書き付けた。「きみたちはやがて頂上に達するだろうが、私が辿り着いた崖縁の洞穴へ到ることは遂にないだろう。頂からは決して見えない死角があることなどきみたちには問題でないのだから」と。幸福博士は水筒から最後の水を飲み干して、山岳隊員として活躍してきた来し方を感慨深く振り返った。「あの頃は私も友人たちも若かった。私の不器用な性格にも、一人分の席が必ず用意されたものだった」と。現実の彼らの一団は、博士の資質と境遇に同情を感じ、援助の方策を考え続けた。だが、彼らは多忙だったので、差し迫った当面の課題への対処に追われ、実行を先延ばしするうちに冬が来てしまった。今は、不帰の客となった幸福博士の言葉の遭難を悼んで、どんな小さな山にもその頂上近くには「幸福碑」が建てられている。本来の「幸福碑」には、こう刻まれている。「あなたには、あなたの席がある。その席の温もりを、あなたは忘れても友情が忘れることはない」と。』
このような光景や、振る舞い、思いなどが、私の心に残りました。
この詩から伝わってきた思いです。
『林間キャンプ地に幸福博士と呼ばれる、昔、山岳隊員として活躍していた者がいた。彼は友人たちとは別れ、キャンプ地で一人で暮らしていた。それは頂上を求めるよりは下の崖縁の洞穴に至ることを求めたからだ。若い頃の友人たちはそんな彼の不器用な性格にも理解を示してくれたが、やがて差し迫った当面の課題の対処に追われて、博士と同行することを検討しつつもいつしか疎遠となっていった。彼は友人たちに対する喜びと誇りを胸にいだきつつも、たくさんの友情を失うことを自覚していた。彼はやがて不遇のまま不帰の客となったが、友人たちによって「幸福碑」が建てられ、その碑には「あなたには、あなたの席がある。その席の温もりを、あなたは忘れても友情が忘れることはない」と刻まれていた。』
このような思いが、伝わってきました。
多くの人が頂上を目指すとき、
下の崖縁を目指すことも当然あって然るべきですが、それが「時の流れ」と異なる場合は、往々にして不遇な結果となることも多いようです。
たとえば数学の公式を数多く覚えて、応用できるようにすることは、大学入試に役立ちますが、公式そのものがどうやって作られたかを調べたり、他の低次の公式で代用するようなことを考えても、大学入試にはそれほど役に立ちません。
しかし教育や研究、芸術などの分野においては、創造的な能力が必要になることを思えば、画一化した入試そのものに問題があるともいえます。
人の生き方として、
「できる事を数多くやる」ことは、立派なことだと思いますが、それを創造的にやれば、もっと良い結果が得られるのではないでしょうか。
さまざまな制度というものは、硬直化して、時代の要請に適応できないことも多いもので、そんな中で、自らの良しとする道を歩む生き方は、遅れてやってくる制度改革にとっては、是非とも、必要なものだと思います。
時代の流れに迎合して、豊かな生活を求めることだけが、必ずしも、社会にとって望ましい道とも、幸福への道とも、いえないのかも知れないと思いました。(H.O)
以上が知人(H.O)さんからメールでした。またメールがあり次第掲載させていただきます。