詩「回答のまえに」を読んで

知人(H.O)さんからメールがきました。 メールの内容を以下にそのまま掲載します。

詩集「言葉の河」- 詩「回答のまえに」の読後感想です。

詩を読んだ後の、心に残った光景です。

『わびしい炎天のまちも、イタドリのうす汚れた風情も、実はあなたはしらない。また「ことありげな体験」や「さかしらな理念」を、わたしの目の前にかざしている。わたしは使命も誇りも辱められてなお、屑でも生きたいとする迷妄に絶望したり、あつくわびしいまちの屑の泣き笑いを愛惜したことがある。言われたことは、わたしには知らないことだ。』
このような光景や、振る舞い、思いなどが、私の心に残りました。

いろいろ言われたが、

わたしは辱められても生きたいとする迷妄に絶望したり、わびしいまちの泣き笑いを愛惜したりしてきた。あなたのように、実際には知らないことを知っているようには言っていないし、特別な体験や、利口そうな理念をかざすこともしていない。言われたことは、知らないことだ、という何かへの抗議の思いが伝わってきました。

自らの思いを語る場合、

実際に体験したことに基づいて語るか、単に想像で語るかでは、その内容についての重さ(実在性)が違ってきます。また何かを批評する場合も同様で、批評対象の体験談や、あるいは批評対象との対談に基づいて批評するか、単に想像だけで批評するかでは、真実味に大きな違いがでてきます。

本来の批評は、客観的な基準を決め、それに基づいた評価であるべきかと思いますが、その基準も、挙げれば無数にあるはずで、その意味では、ある特定の範囲に限っての批評にすぎないということを、明記したものであるべきだと思います。

結局、良いものは、

いずれ誰かに見出され、永く後世に残るもので、それが最高の批評といえるのではないでしょうか。

批評というものに対しては「沈黙すると認めることになる」という考え方もあり、それが悪評ともなれば、反論やむなしということも多いと思います。それを認めた上でもやはり、その時々で批評したり、反論したりするよりは、後世の判断に委ねる方が、作品にとって、最良の対応になるのではないか、と思いました。(H.O)

以上が知人(H.O)さんからメールでした。またメールがあり次第掲載させていただきます。

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