知人の北海道滞在記(4)

知人(H.O)さんから新しいメールがきました。
メールの内容を以下にそのまま掲載します。

2016-12-03北海道4日目は、

この旅を思い立ったきっかけともいうべき、室蘭の高校時代の同窓会兼忘年会が行われる日でした。

午前中は何の予定もなく、街に出て、昔の記憶とのすり合わせをしようと思っていたところ、思いがけずKさんから電話があり、一緒にランチをすることになりました。

札幌駅の北口で待ち合わせをしていましたが、

そこに先生と3名の級友(Kさん、Sさん、Mさん)が現れました。今回の出会いも、本能的に昔のイメージを思い出そうとするようで、一瞬の間があっての挨拶となりましたが、すぐに昔の関係を取り戻すことができました。

先生は大変お元気で、80歳を過ぎても積極的に行動されているとのことで、驚きとともに安堵のようなものを感じました。

高校在学当時は、

学費値上げに反対した東大の学園紛争に端を発した学生運動が全国的に広がりを見せていた時で、私も大きな影響を受けていました。

今から思えば学生運動とは一種の原点回帰を果たそうとする運動だったと思います。つまり何かの決め事に対して、単に「そうですか」とスルーするのではなく、原点に戻って「それは正しいことなのか」を考えようとし、正しくないことなら「それを正すべきだ」と表明しようとする運動だったと思います。

たとえば勉強についても、

「試験で良い点数をとり、良い大学に行き、良い会社に勤めるためのもの」であって良いのか、むしろ「考える力を養う勉強でなければならないのではないか」と自問自答し、それなりに自分としての結論を出すことで良しとしていたように記憶しています。

そんな激動の時代で、卒業式はそれまでの教育のあり方を肯定する一つの象徴になることを重く見て、妨害しようという流れもありました。

当時高校生は

近隣の大学生と共に行動し、我が高校にもそのような動きがあり、それを察知した先生が大学生のリーダーに対し、「君達はうちの生徒(高校生)を中卒にしたいのか」と掛け合ったという話を聞くことができました。

卒業式を妨害すれば参加した高校生は高校を退学になり、つまりは中卒になる訳で、そのことを活動家のリーダーに突きつけたということですが、生徒の純粋で一途な思いは理解しつつも、現実的なマイナスからは救いたいという先生の熱い気持に心打たれる思いでした。

先生は当時30代半ばでしたが、時には辞表を胸にして臨んだ日もあったそうで、我々も先生もある意味では真剣に時代の流れと対峙したということに、今更ながら気付かされました。

飲み会の前に

先生から当時のいろいろな話を聞くことができ、また3名の級友ともじっくりと話ができたことは本当に良かったです。改めてKさん、Sさん、Mさんにお礼を申し上げます。ありがとうございました。

ランチを終えたあともしばらくお茶を飲みながら昔話に花を咲かせ、そのまま会場へと移動しました。17:00開始のところ少し早目の会場入りとなりましたが、次第に級友たちが集まり、実に47年ぶりの再会となる私に対しては、皆な驚きの目で対応してくれました。

高校在学当時、

一緒に活動していた級友にM.Tさん、S.Tさんという人がいます。その人達とは20代前半に東京で一度会ったきりで、その後40年以上という空白があります。

今年になってメールのやりとりを始めて、いろいろ近況の報告などはしていましたが、長い時間を経てこの日、直接顔を見て、話すことができました。

M.Tさんは

今病気と戦っていますが、次第に快方に向かっており、本人はどちらかというと淡々と日々を送りたいと言っていました。つまり「あれがいい、これがいい」といった不確かな情報に左右されたくないということでしたが、私はむしろ「いい情報を正しいと信じ切る」ことで、気持を高め続ける方が良いのではと話しました。

ニーチェという人が「事実というものは存在しない。存在するのは解釈のみである。」という言葉を残していますが、もしそうであるなら、逆に「良い解釈が、良い事実につながる」ことでもあり、それを思い出しての言葉でした。

飲み会は

やがて二次会、三次会とすすみ、すっかり昔の高校時代に戻って、あれやこれやと話が弾み、宿泊先に戻ったのは1:00頃でした。

M.TさんとS.Tさんとは二日後に又会おうと約束をして別れましたが、長い長い一日になりました。いろいろな人の顔が浮かんでは消えて、やがて眠りに落ちていきました。(H.O)

 
 
以上が知人(H.O)さんからメールでした。またメールがあり次第掲載させていただきます。

この画像は宿泊先からのスナップだそうです。

 

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