知人の北海道滞在記(3)
知人(H.O)さんから新しいメールがきました。
メールの内容を以下にそのまま掲載します。
2016-12-02北海道3日目の昼は
親戚の叔父の所に行きました。
予め夜は会食、翌日の午前中はゆっくり起き出し、午後には親戚の人に会うという行動パターンを設定しており、そのパターンに基づいての訪問でした。
叔父は母の弟で80代半ばですが大変元気そうでした。私は室蘭(鷲別)に住んでいたことがあり、父が小樽に転勤になったあと室蘭の高校に通うため、叔父の家で、しばらく一緒に暮らさせていただいたことがありました。
叔父や叔母とは、その時の話や、親戚の家系図を持って行ったこともあり、それを見ながら他の親戚の話などをして過ごしました。
叔母は
だんだん高齢になってきた叔父を心配して、車の運転を止めてもらいたいようでしたが、やはり便利さという魅力もあり簡単に止めるという訳にもいかないようでした。
午後も16:30となり、母の写真を見せ、叔父と叔母の写真を撮って別れました。「お元気で」と言っての別れになりましたが、やはり「次に会うことはできないのでは」という思いが頭をよぎりました。
叔父との対面を終えたあと、
夜は前にお伝えした専門学校で一緒だったMさんと、わざわざ砂川から出てきてくれるSさんとの3人で会食する予定になっていました。
場所はMさんに設定していただき、18:00頃、札幌駅の近くで待ち合わせをしての再会、会食となりました。Mさんとは2日前に再会を果たしましたが、Sさんとは40年ぶりの再会になりました。
東京時代の3人は
共に20代前半で、何度も時間を見つけては中野界隈で酒を酌み交わし、また当時私が車を持っていたこともあり、奥多摩湖へのドライブに行くなど、休みを利用して頻繁に会っていた仲でした。
特にSさんとは同じ会社に勤め、同じ寮の同じ部屋で暮らしていた時期があり、入寮当時は真夏の昼間にカーテンもない部屋で眠り、あまりの暑さにたまらずあわててカーテンを買いに行ったり、どうしても冷蔵庫が欲しくて質屋で購入したことなど、なつかしい思い出がたくさんありました。
そんな3人でしたが、
2年後くらいには各々別の道に踏み出し、Mさんとはその後何度か会う機会がありましたが、Sさんとはそれきり一度も会えませんでした。
それからの長い時間を経たあとの3人揃っての再会になりましたが、話すにつれて空白の時間が消え去り、まるで昨日中野で会ったかのような錯覚さえいだくほどでした。
18:00~21:30と3時間半の時間もあっという間に過ぎ、「また是非会いましょう」、そう言ってSさんとは別れ、Mさんとは帰りの方向が一緒だったのでタクシーで送ってもらって別れました。
どの別れも
それぞれの余韻が漂い、その都度、地理的な隔たりを解消したい衝動が湧き起こり、時にはそれを抑えることが難しい瞬間すらあるほどでした。(H.O)
以上が知人(H.O)さんからメールでした。またメールがあり次第掲載させていただきます。
この画像は大通公園に近い街のスナップだそうです。