「保守」と「革新」
よくアンケート結果が公表されますが、その中でいつも一番多いのが「どちらとも言えない」「よく分からない」という人ではないでしょうか。
このように「よく分からない」という人は
慎重な人ということもできますが、何か一つでも具体的な観点があればそれで決めるということはよくあることで、その意味では決断しない人ということもできます。
このような決断なき人の場合は多くの選択において、結果として風評に流されることが多いと思われます。また選挙や国民投票などにおいては、「変えるべきだという根拠がない以上結局現状維持でいい」ということになり、いわゆる体制派の方に投票することが多いようです。
この場合は「保守」ということになりますが、「消極的保守」という表現がより近いかも知れません。
これまで「保守」という言葉を用いてきましたが、
対する言葉は「革新」です。今日はこの「革新」を中心に考えてみたいと思います。
この「革新」という言葉は変化する時代に適応する姿勢を示す言葉だと思います。時代が変われば多くの決め事もそれに合わせて変えていく必要がありますが、変化は往々にして不備を伴います。この不備を良しとしない姿勢が「保守」であり、不備があってもそれをさらに乗り越えて新たな適応を目指す姿勢が「革新」だと思います。
「革新」は新たな多くの不備を生み出しますが、しかし全体としては前進するものであり、それを恐れては一切の進展はなく、いつも何らかの不満を抱えて、それを見て見ぬふりをして生きていくことになるのではないでしょうか。
歴史を振り返れば
「革新」の積み重ねで人類が進歩してきたことが分かります。人類はより良い状況を目指して新たな試みを繰り返しながら多くのものを獲得してきましたし、これからも変わらないと思います。「保守」が「革新」の波に飲み込まれてその時代遅れを精算することで新たに進み始めた事例が多く残されています。
よく間違われるのは
「革新」というのは現状と異なる方向にいくことだと思われることですが、本来の「革新」とは現状の方向を更に推し進めることをも含むものです。つまりその場に立ち止まらないことの総称といえます。
たとえば「・・・を変えますか」という設問に対し「はい」が「革新」であり、「いいえ」「よく分からない」「どちらとも言えない」が「保守」です。昨今「憲法論議」が盛んに取り沙汰されていますが「憲法を変えますか」に対して「はい」以外は「保守」になります。
また「・・・を推進しますか」という設問に対し「はい」は「革新」ですが、「いいえ」はどちらとも言えません。つまり「・・・の逆を推進する」ということなら「革新」と言えます。「憲法論議」でも「平和憲法」を良しとするなら、時代の変化に対応しつつ、今よりもっと「平和憲法」であるように変えていくべきです。
確かに物事は全て「よく分からない」もので、
それはたとえ専門家であっても一部を除けば同じようなものだと思います。
しかしそんな混沌とした状況においても、何か一つでも「そうすべきだ」ということがあったらそれに従って行動すべきではないでしょうか。そうしない限り「革新」は為されず、仮に時代遅れになっている決め事があるとすればそれをずっと続けることになります。
私たちが人を説得する場合は
「これは反対だ」というよりは「是非こうしたい」という言い方が多くなると思いますが、これは説得力の違いを知っているからではないでしょうか。「・・・してはいけない」よりは「・・・しよう」という言い方の方が先を想像させるため、それだけ人の心を惹きつけることが少なくありません。
「革新」とは進歩そのもので、まさに「・・・しよう」という姿勢から生まれると思います。勿論現状をさらに推し進める「・・・しよう」も含めてです。
これからは国民の選択としての
国民投票も増えることが予想されますが、その時に「よく分からない」からと現状維持を選択するのではなく、何か一つでも自分の納得できるものをみつけて、そちらを選択すべきだと思います。
そのためにも何でも良いので普段から「個別のテーマ」に対しての自分の立場を明確にすることが大切だと思います。
たった一つの視点で決めていいのか、
という指摘もあると思いますが、一人一人が何か一つでも納得してそれに「はい」を表明すれば、それが集まってより不備のないものができるのではないでしょうか。
「革新」により新たな不備が見えたら躊躇なく、それを防ぐ「・・・しよう」に「はい」を表明すれば良いのだと思います。
次のような偉人の言葉が残されています。
デカルト
不決断こそ最大の害悪。
島津斉彬
勇断なき人は事を為すこと能はず。
不備を恐れず「革新」に乗り出す気概が大いに伝わってきませんか。