般若心経が伝えることとは
ふとしたことから般若心経の意味を調べることになりました。
このお経にはさまざまな解釈があるようですが、ある一つの考え方に強く惹かれました。
それは「空」というものの考え方でした。
つまり「空」は
「変化するもの」、「色」は「執着するもの」とみなすという考え方で、「執着しても結局は変化するものだから、執着するだけ苦悩が増えることを知るべきだ」というように解釈するものでした。
人間は肉体という一つの制約の元に生きていますが、その制約自体も変化するもので、不変の望み(煩悩)を抱いても叶わなかったり、叶ってもやがて失われることを知ることで心の平安が得られるという考え方は、もっともな考え方だと思いました。
私なりの解釈では、
現実世界、肉体という制約の元で「欲張らない」という姿勢を保つことにより心を乱すことなく生きていける、ということを教えているのではないかと思いました。
人は「欲張る」と腹を立てることが多くなります。たとえば列に並んで順番を待つとき、「この列が早いかも知れない」と並んでいるときに、前の方がなかなか進まないと前の人に対する不満が込み上げてきます。しかし「遅くなったとしても大差はないのだから」と思えば、そんなにピリピリしなくても済みます。
病気になっても事故にあっても「この程度で良かった」と思えるほど心の負担は軽くなり、その意味では「無欲=変化の許容」が平安につながることは事実だと思います。
何かをするときでも「できる事をやろう」という考え方の方が、「やるべき事をやろう」という考え方より、変化を許容することができ平安につながる考え方だと思います。
生き物はやがて死を迎えますが、
その際は魂が解放されるという考え方もあるようです。このとき自意識(煩悩や執着)が強いと魂を転生へと向かわせ、再び生き物としての悩みや苦しみを味わうことになり、逆に自意識を消失すると魂は転生から解脱し、別次元に到達できるということも言われています。
これらは深い瞑想によって知り得たと言われていますが、勿論その説の真偽は分かりません。ただ、一人の人間として「肉体や精神の衰え」という制約の元で暮らすとき、「平安に過ごすためには何が大切か」という、一つのヒントをもらったような気がします。
常に変化することを知り、
それを受け入れることでそれなりの状況に満足することに慣れ、自意識(こうなりたいという思い)が薄まり、その結果穏やかに暮らすことができ、やがて死を迎えたときも解脱できるということであれば、受け入れられる生き方とも言えます。
「こうなりたい」という思いが人を高みに押し上げるという考え方からすると、幾分消極的な生き方にも思えますが、それぞれの段階の「こうなりたい」を求めることと考えると、必ずしもそうとは言えないような気もします。
変化を許容することは難しいことかも知れませんが、「無欲が一番」「できる事をやれ」などといったような、何らかの効果的な言葉を探してみるのもいいかも知れませんね。