今の自分らしさを・・・
テレビではよく「若く見られるとうれしい」という類のCMが流されたり、その種の話を対談番組の会話を通して聞くことがあります。髪のボリュームであったり、顔の色やシワであったり、それらをできるだけ隠して年齢が下に見られるように努力し、実際にそのように見られると大変うれしいということですが、そのことについて少し考えてみました。
それらの行為は実際には
現実を隠しているだけで、いわゆる中身は実年齢相当ということになります。
そこでふと思うことは、いわゆる見かけ上の姿と現実の姿とのギャップを自らつくり出すことで、却って見てくれる人の信頼を損ねることにならないか、ということです。
よりうまくごまかして見せるほど
実際の姿との隔たりは大きくなり、それだけ真実を知ったときの衝撃や失望も大きくなります。
人は若い頃が一番よいのでしょうか、そこから変わらないことがそんなに大事なことなのでしょうか。
結局、偽りの姿というものは
人をだます行為の一つであり、付き合いが短い場合は、そんなに大きな空疎感にはつながりませんが、付き合いが長い場合は大きな空疎感をもたらすような気がします。「そんなに無理することはないのに」という思いが正直な気持ちではないでしょうか。
白髪やシワも長い人生を少しづつ登ってきた印であり勲章です。歳相応の良さをそれなりに表現する方が、真実の重みを感じさせてくれますし、また空疎感をいだかせないですみます。
人は
「変わらないこと」を求めるのではなく、むしろ「今の自分らしさを研く」ことを求めるべきだと思います。髪がなければないなりに、白髪が多ければ多いなりに、それを隠さずにそれに応じた年輪の美しさを見てもらえば、それが一番だと思います。
ただ「無精すること」が自分らしさだと思った人は、それは大いなる勘違いですのでご注意ください。