行政評価制度
政治家を選ぶことが行政の評価に直結していると思われますか。
行政の施策によりいろいろな建物を建てることがあり、その結果国や地方において資金不足に陥ることがあります。そうすると増税や、市民のための支援事業の廃止・縮小といった対策がとられますが、これは仕方のないことといえるのでしょうか。
少し前に、新国立競技場の見直し問題が
国民の関心を集めていましたが、だいぶ以前にはグリーンピアの安値売却問題が世間を騒がせていました。年金のための資金が足りないと言いながら、一方で無計画とも言える建造が行われた背景にはどういう問題があるのでしょうか。
目論見・試算のやり方に
大きな問題があると思われます。要は「どうせ正確な値など出せるわけがないのだから、足りなくなったら増やせば良い」といういい加減さ・甘さを強く感じます。
この問題を解消するには、行政への評価機関の設立が必要だと思います。何かの施設を建設する場合には、考えられる要素を全て盛り込んだ試算の提出を義務付け、それをチェックして合格した場合のみ許可するようにするのが本来の姿だと思います。
その中には
建設後の維持・運営の目論見も含め、また天下りの無駄使いの排除も含めます。前政権で行われた「事業仕分け」の厳格版を一つのモデルとして考えるのも良いかも知れません。
少なくとも、担当の行政責任者が二三年で変わり誰が責任を負うのかも分からなかったり、あるいは単に地方に左遷することで責任をとらせるといったことのないように、責任の負い方についてもきちっと定められるべきだと思います。
現在は
コンピュータを利用した様々な計算や評価も可能になってきているので、それらを利用した評価機関の評価に基づいて実施が左右されることになれば、評価技術自体も次第に高まり、より適切な判断につながるものと考えます。
少額の窃盗でも罪に問われる現在にも関わらず、多額の公共施策の失敗に対してはあまりにも寛容すぎるきらいがあります。結果がでるのが数十年先ということもありますが、中間での予想や評価も可能なはずなので、影響度に応じた重い罪に問われる仕組みを考える必要があると思います。
国民の血税や健康保険、年金などの積立金がむだに使われないためには、その結果に曖昧でない姿勢(正しい評価制度など)が早急に求められているといっても過言ではないのではないでしょうか。