迷いを断つ

皆さんは何かを判断しようとするとき、あれこれ迷うことはありませんか。
たとえば今「安保法制」に関する議論が行われていますが、

  • 共に戦っている国が攻撃されている時に何もしないのはおかしい
  • 日本とは地理的に離れた場所で戦闘が行われている場合に共闘するのはやり過ぎだ
  • 離れていてもタンカーなどの安全が脅かされることは国益に反するので共闘すべきかも知れない
  • 時の内閣によって共闘したりしなかったりを判断する事は曖昧過ぎる
  • 共闘の判断基準を事前に事細かに決めておくことは難しい
  • しかし決めておかなければ曖昧な判断で戦争に参加することになる

のように、個別の事柄につき色々な考え方が浮かんできます。この状況では結論としてどうあるべきかを決められない場合が多く、感想を聞かれても「迷っている、分からない」という回答になると思います。

つまり現実の状況は

かくも複雑で、どちらかに結論付けることはとても難しいといっても過言ではありません。しかし何らかの結論を決めておかなければ、現実行動に支障をきたす場合もあります。

そこでどちらかに決定することになりますが、その際の効果的手法として「大きな要因に着目する」というものがあります。つまり明らかにそうすべきだと思われる要因についてのみ判断を下す訳です。

たとえば

  • 日本の領土が侵略・攻撃される場合には共闘する
  • それ以外の国益に反する行為は国連機関の決定に従う

と決めます。勿論これで充分とは思いません。なぜなら国連機関の決定自体が大国の拒否権により左右されるからです。しかしこの「大きな必要性は決断し、小さな必要性は決断しない」ということが重要なのです。

小さな必要性を

保留することには、混乱を避ける効果があります。特に国家間の紛争の場合、国益を中心に考えると双方全く逆の判断になるため、小さな必要性というレベルではことごとく対立するのが通常といえるからです。

従って小さな必要性についての問題は常に「迷う対象」と考えて後にまわし、まずはより大きな必要性に限って結論付けることを第一と考えることが、問題解決という意味において大変重要なことだといえるのではないでしょうか。

小さい必要性も全て含めて決断しようとすると、

結局どちらかに一方的に舵をきることになり、その結果大きな過ちにつながった例は、歴史の中にたくさん見つけることができると思います。

デカルトは「難問は分割せよ」と教えています。大きな必要性と小さな必要性を分割して決断することは、きっと迷いを減らすことに貢献してくれるはずです。

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