調和や協調の背景
調和や協調という言葉が掲げられるのは何故でしょうか。
人はとかく自分中心に考えがちで、その結果として順調な時は有頂天になることが多いし、不振な時は被害妄想に囚われることが多いものです。このことは基本的には「人間は即座に反応する生き物」ということができ、その意味では自然な反応ともいえます。
周りに多くの人がいて
一緒に生活している場合は、その人達との関係を考慮しながら行動するし、一人で生活している場合は自分の思いのみで行動します。「即座の反応」もそれらの状況に大きく影響されることになります。
歴史的に見ると
集団で生活することが多かったために、それまでは「悲しみ」とか「喜び」とかの気持ちを分け合って暮らしてきたと思われます。つまり自分中心に考える習性はかなり抑制されていたということになります。
しかし近年では
建物の数が増えたこともあって、個別に暮らす傾向が強くなりました。その結果として自分中心に考える習性が強まり、逆に気持ちを他の人と分け合うことが少なくなったと思われます。有頂天になっても誰もそれを抑えてくれないし、被害妄想に囚われても誰もそこから抜け出す手助けをしてくれません。
生活習慣というものは
簡単に変えられるものではないので、こういう場合は「自分だけではない」という気持ちを持つ事が大切だと思います。「自分だけではない」という考え方には、周りに人がいなくても、自分中心に考えることを抑制してくれる効果があります。
「自分だけが順調ではない」という気持ちは、有頂天になることを抑制してくれるし、「自分だけが不振で苦しんでいる訳ではない」という気持ちは、被害妄想に囚われることを軽減してくれます。
「調和」とか「協調」といった言葉がありますが、
これらは「自分だけではない」、「皆な同じ思いなのだ」という「他を思う気持ち」が土台となって、自分中心に考える習慣が抑制された結果生まれた「連帯の心境」を言い表したものだと思います。
個別に暮らすなかで最も大切にしたい言葉の一つということができるのではないでしょうか。