思いやり
昨年の東日本大震災以来、「絆」あるいは「思いやり」といった言葉が多く使われるようになりました。大きな災害を通して「人は一人では生きられない」という気持ちが強くなったことを反映したものでしょうか。
私達は「自らが欲することを為す」ことで
生活していると思いますが、何を欲するかでその達成感は大きく違ってくるのではないでしょうか。単に自分のために行った場合の達成感と、他の人のために行った場合の達成感は同じものではないようです。
小さな子供がいる場合の母親は、
ほとんどが子供の世話に追われる生活だと思います。そうでない人と比べると自分のための行動はごくわずかなので、煩わしさから空しさが増すのではと考えられがちですが、逆に充実感や達成感が強いという声の方が多いようです。これはどういうことなのでしょうか。
小さな子供は
母親がいなければ何もできません。つまり「子供が喜ぶのも悲しむのも自分しだい」ということを母親は知っているので「自分が頑張れば喜ばせてあげられる」という気持ちが強くなり、結果として達成感が強まるのだと思います。
前記は親族の例ですが、肉親かどうかということより、他の誰かを喜ばせるということ自体が結局「自分を間接的に喜ばせ」、また「その喜びは自分を直接喜ばせるよりも強い」ことを証明するものだと思います。自分のことはさておき、友人や知人を驚かせてやろうとする気持ちも、同じ心理から発するものといえるようです。
自分を喜ばせることで得られる
直接的喜びよりは、他の人を喜ばせて得られる間接的喜びの方がより強く、大きいということに気付いた人は、他の人への「思いやり」がより強くなっていくようです。
世の中の人々が皆このような思いで暮らしていけば、日々の暮らしが楽しく、結果的に幸せな一生につながるのかも知れませんね。