会社は現状維持が基本

今日は会社と利益の関係について考えてみました。

会社とは何でしょうか。毎年利益を計上しなければならないものなのでしょうか。

会社とは

社会的システムの側面から見れば、分業システムの中核的担い手です。ご存知のように、人は分業により生活を維持しています。

一人一人が米を作らなくても米を食べることができますし、同様に服を作らなくても服を着ることができ、家を建てなくても家に住むことができます。

もしこの分業の維持が大きな目的であるならば、その中核的担い手たる会社の使命も、まずは現状維持にあるといえます。

会社の他の側面としては、

毎年利益を出さなければ株価が下がり、株主に損をもたらし、株主に見放され、倒産を迎えるという側面もあります。M&Aでの買収対象になることもあります。

では利益は出なかったが損も出なかったといった現状維持の場合は、株主にどういう影響を与えることになるのでしょうか。将来性がある限り、多くの株主に見放される可能性は低いと考えられますが、もしそうであるならば、リストラでこれまで戦力だった人々を解雇することが、将来性につながるかどうかという視点での検討は大いに意味のあるものになります。

人の育成には

多くの時間がかかります。多くの価値を生み出すための「人財」の育成であれば当然と言えます。

仮にリストラで、その会社の業務遂行に大きな支障がないとしたら、逆の意味でそれだけ社員の生み出す価値が低かったことを意味します。つまりその会社での人の育成は効果的に行われていなかったということになります。

人の育成が効果的に行われているなら、

リストラでそれらの「人財」を失うことは、将来性という点では大きなマイナスとなるはずです。必要になった時の補完に時間がかかるからです。目先の損失を抑える行為が、将来の大きな利益の芽を摘み取る行為になることを危惧すべきでしょう。

今は補完要員を派遣社員によって確保し易いという側面もありますが、しかしその会社での仕事を一番良く知っているのも、会社への情熱を強く持っているのも、やはり社員なのです。

その点を考えたら派遣社員とは比較にならないはずで、もしそこに大した差が無いとしたら、まさにその点こそが問題と言うべきです。

会社というものは

現状維持でも見放されることはありません。将来性というものが必要であり、その担い手が育成された社員であることを前提にする限り、リストラはあくまでも目先だけの工夫の無い対処法に過ぎないと断言できます。

会社は誰のものか

という視点もあります。資本主義の社会なのだから株主のものだろうという意見もあるでしょう。

しかしその株主にしても「儲からなければそんな会社の株などは売ってしまえ」という考えにはなれないはずです。それは会社というものが社会の分業的役割の中心を担っているからです。

その意味では「会社は皆で育てていくものだ」という観点に立つべきだと思います。株主といえども自分のよって立つ何らかの組織(会社など)に所属している人が大半だと思いますが、それらの組織(会社など)に対して「利益がでないのなら、こんな組織(会社など)はなくなればいい」とは思う人は少数ではないでしょうか。

今の経済の仕組みが

毎年利益が出せないとつぶれる仕組みであるなら、それは異常な仕組みといえます。現状維持こそが安定した経営という仕組みにすべきです。実際に社員がそれで生活でき、生産力の一翼を担っていることに違いが無い訳ですから、その有益性は証明されていると考えることに何の違和感もないはずです。

そのように考えれば安易に人件費の安い海外に生産拠点を移すといったことは減り、たとえ苦しいときでも給料を下げるなどの方法でリストラをしないで乗り切るといったことが増えると思います。

そうやって皆が収入を得ている限り消費が保たれ、生産力も維持できることになり、会社の存在意義はずっと続いていくに違いありません。

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