ウクライナ南部オデーサへの攻撃止まず


『ウクライナ南部オデーサ州ではロシア軍による攻撃が連日続いていて、23日にはウクライナ正教会の大聖堂が損傷、さらに1人が死亡しました。 』とのことです。


 

ウクライナ南部オデーサ州ではロシア軍による攻撃が連日続いていて、23日にはウクライナ正教会の大聖堂が損傷、さらに1人が死亡しました。 ウクライナ国家警察や現地メディアによると、オデーサ州で23日未明にかけロシア軍による大規模なミサイル攻撃があり、州都オデーサでは市内最大のウクライナ正教会の大聖堂が激しく損傷したということです。

さらに、攻撃により1人が死亡したほか、子ども4人を含む22人が負傷しました。

ゼレンスキー大統領は「ロシアは必ず報いを受けるだろう」と攻撃を非難しています。

一方、ロシア国防省は大聖堂の被害について「ウクライナ軍の地対空ミサイルの落下によるもの」と主張しました。

【ヤフーニュース 配信( 記事:TBSテレビ ) 配信】

相変わらず

独裁者の暴挙が続いているようです。

本来なら(まともな国家であるなら)少なくとも敵対する国であっても、その軍関係への攻撃に限定すべきであるにも関わらず、この独裁者は平気でウクライナの市民を標的にした攻撃を続けているようです。

そして

また自国のミスであるような文言を平気で主張する厚かましさも相変わらずのようです。

他の「クリミアの燃料貯蔵庫が攻撃」されたことを報じた記事には『ロシアのウラジーミル・プーチン大統領はウクライナによる「無意味」で「残酷」な「テロ攻撃」だと非難し、報復を約束していた。』との文言がみられますが、軍事的な脅威となっている燃料貯蔵庫への攻撃とウクライナ正教会の大聖堂への攻撃とどちらがテロ攻撃なのかは一目瞭然であり、独裁者の異常性が遺憾なく発揮されていると言っても過言ではないと思います。

今回の

ロシアによるウクライナ侵攻という行為により独裁者の様々な愚かさや悪辣さが露見することになりましたが、ロシア以外にも独裁者が国民を踏みにじって栄華を極めているかのような国がいくつかあります。

独裁者の行為が何ら罰せられずに不問に付されたならば、今後多くの独裁者が跋扈し、世界は中世やあるいは帝国主義の時代へと逆戻りすることになります。

そしてその結果、再び多くの不幸が生まれ、多くの悲しみが生まれることになります。

これまで

何となく民主主義的に見えたロシアですが、ウクライナへの侵攻という行為により、この国が独裁者の牛耳る国であることが証明されました。

そしてこの独裁者を直接的にまたは間接的に養護する他の独裁者の国々もその正体をあらわにしつつあります。

真の平和は

単に「戦争反対」を唱えることではなく、これら「独裁者の力を削ぐ」ことで実現されるものだと思います。

ロシヤという広大な領土を有する国がさらにウクライナを領土に加えたいという意図も、同じく広大な領土をもつ中国が台湾を領土に加えたいという意図も、つまるところは同じ理由から生じているものであり、その全ては独裁者の不安を解消したいという願いからきているものと推察されます。

具体的には

多くの民主主義国家の意思や行為により、自らの独裁者という地位を失うことに多くの不安を感じているということで、国民の幸福という考えは二の次、三の次であることが分かります。

多くの独裁者は国民を犠牲にして膨大な権力や財力を独占しているため国民を脅すことはできても国民に協力を求めることはできません。

そのため

全ての判断は国民の同意の元に行うことはできず、従って独裁者個人の独断で行うしか無いということになります。

以前からウクライナの市民への攻撃を続けているロシアですが、これは独裁者が自国の国民の同意を求めていない証拠とも言えます。

つまり

自国の国民の同意を必要と考えているなら、敵国とみなす国の軍事関係の施設等への攻撃ではなく市民への攻撃を行うことには踏み切れないはずで(国民がそれを望む訳がないので)、それが行われているということは逆に自国の国民の意思などはどうでも良いと考えていることの一つの証明と言っても過言ではないと思います。

独裁者は自らとその関係者のことだけが大事で他は独裁制を脅かす敵という考え方が自然ですが、だとすれば自国民にとっても他国民にとっても排除すべき存在でしかなく、国民の総意を中心に据えている民主主義国の国々が力を合わせてその実現に向かうことが正しい道であり、その根拠は民主主義国家の国民の生活の中にあります。

つまり

貧富の差はありますが、国民の総意が公正に選挙によって反映・尊重され、また国家による脅迫などのない自由な生活を見ればその制度の健全さが証明されているものと思われます。

独裁制は一握りの権力者のための制度であり、民主主義制度はその国を構成する国民のための制度であるからこそ、ウクライナの国民は命をかけて自国(の民主主義)を守ろうとしているのだと思いますが、いかがでしょうか。

 

参考情報: