ウクライナの反撃

『ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は16日、ウクライナの最近の反転攻勢について、ロシアの計画を変更するものではないと述べた。この件で公式にコメントしたのは初めて。』とのことです。


 

ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は16日、ウクライナの最近の反転攻勢について、ロシアの計画を変更するものではないと述べた。この件で公式にコメントしたのは初めて。

ウクライナ軍は、北東部ハルキウ州で6日間のうちに、領土8000平方キロメートル以上をロシアから奪還するという、驚異的な結果を出したとしている。

プーチン氏はこの日、ウズベキスタンで上海協力機構(SCO)首脳会議に臨んだ後に会見。ウクライナの反攻に慌ててはいないとし、東部ドンバス地方でのロシアの攻勢は順調なままだと述べた。

また、「ロシア軍は全軍が戦っているわけではないことを指摘しておく。(中略)職業軍人しか戦っていない」と説明。

「ドンバスでの私たちの攻勢は止まっていない。あまり速いペースではないが前進している。徐々に獲得領土を広げている」とした。

そして、ウクライナが攻撃を続ければ、「より深刻な」対応を取ると威嚇した。

【BBC NEWS JAPAN 配信】

ロシアによる

ウクライナ侵攻という近代世界(?)における前代未聞ともいうべき事態が勃発してから7ヶ月が経過しようとしていますが、そのような中でプーチン氏の発言があったようです。

今回報道の発言もそうですが私にはどこか現実味のない発言に思えましたので、その原因が何か考えてみました。

そして

思い当たったのはこの人(プーチン氏)が「ロシアの計画」というように「ロシア」という表現をする時の空々しさに起因しているのではないかということでした。

つまりこの人(プーチン氏)は大統領であるだけで「ロシアを代表していない」ということがそのような感覚につながっているのだと思われますが、このことについてもう少し考えてみたいと思います。

一般的に

大統領などという国家元首はその国の国民の自由な選択で選ばれていることが多く、それ故に私たちは大統領などの国家元首の発言はその国の国民の総意(多数)を代弁しているということに慣れてしまっていますが、このプーチン氏の場合は独裁者ですから本来の意味でのロシア国民の代表者ではないので、つまりはプーチン氏個人がロシアの総意であるかのように発言することに大きな違和感を感じさせていたものと思われます。

あらゆる

国家的決定をプーチン氏個人が行っているだけでロシア国民の総意(多数)とは区別する必要があり、その意味ではロシアの情報についてはプーチンロシア(プーチン氏個人が独裁者として振る舞っているロシア)と民主ロシア(民主的に考えるロシアの総意)というような表現が状況などを表す上でふさわしいものと思われます。

今回の報道も『ロシアの計画を変更するものではない』から『プーチンロシアの計画を変更するものではない』と読み替えるとしっくりくるのではないでしょうか。

民主主義国家の

国民から独裁国家の行動を見る場合は「独裁者個人の思惑なのかその国の国民の総意なのか」ということを読み替えないとその国の国民を誤解することになります。

ロシアの場合も「プーチンロシア」の行動なのか「民主ロシア」の行動なのかを区別して考えないと、いわゆる「ロシア国民」への誤解がどんどん大きくなっていきますので、いわゆる世界的な平和共存という考え方からは大きく逸れてしまうことになります。

ロシアの取る

様々な選択に対しては他国の国民の場合は「プーチンロシア」の選択なのか「民主ロシア」の選択なのかを注意深く読み解くことが大事であり、更にロシア国民の場合は「プーチンロシア」としての選択に対し常に「民主ロシア」としてはどうあるべきかという判断を下しながら日常を送ることが大事だと思います。

最近の

動向としての『ウクライナ「住民投票」』にしても『予備役の部分的動員表明』にしても、「プーチンロシア」はそう言っているが「民主ロシア」としてはどうあるべきかと自らに問いかけてみるべきだと思います。

そして「民主ロシア」の選択と「プーチンロシア」の選択が大きく食い違っていることが分かってくれば、真のロシア国民の総意がより明確になりますし、また真の代表者として望む人物像についても大きく膨らんでいくものと思われます。

 

参考情報: