「北海道守った」樋口中将の顕彰祭
『先の大戦が終結してもなお、北方を蹂躙(じゅうりん)するソ連軍への反撃、撃滅を命じ、スターリンによる北海道占領の野望を打ち砕いた大日本帝国陸軍の第5方面軍司令官、樋口季一郎中将(1888~1970年)を顕彰する祭典が20日、大阪護国神社(大阪市住之江区)で営まれ、関係者ら約45人が功績に思いをはせた。』そうです。 |
先の大戦が終結してもなお、北方を蹂躙(じゅうりん)するソ連軍への反撃、撃滅を命じ、スターリンによる北海道占領の野望を打ち砕いた大日本帝国陸軍の第5方面軍司令官、樋口季一郎中将(1888~1970年)を顕彰する祭典が20日、大阪護国神社(大阪市住之江区)で営まれ、関係者ら約45人が功績に思いをはせた。ロシアによるウクライナ侵攻を受け、ソ連から北海道を守った樋口中将を改めて評価する見方が強まっている。
終戦から3日後の昭和20年8月18日、千島列島最北端の占守(しゅむしゅ)島にソ連軍が大挙上陸、武装解除を進める日本側に攻撃を仕掛けた。札幌で方面軍の指揮を執る樋口中将は、守備部隊の第91師団長、堤不夾貴(ふさき)中将に「断乎(だんこ)反撃に転じ、ソ連軍を撃滅すべし」と命じた。日本側は、停戦協定によって最後は銃を置いたが、戦闘で終始優勢を保ったためにソ連軍の侵攻に狂いが生じ、最高指導者、スターリンによる北海道占領の野望を打ち砕いたとされる。
関東軍のハルビン特務機関長として満州国にいた1938年には、ドイツから逃れてきた多数のユダヤ人を満州国内に受け入れたことでも知られる。
樋口中将は大阪陸軍幼年学校出身で大阪にゆかりがある。祭典には、孫で明治学院大名誉教授の隆一氏(76)らが参列。祭典の主催者として祭文(さいもん)を奏上(そうじょう)した日本経済大の久野潤准教授は「敗戦下で北海道が敵の手に委ねられず、日本の領土であり続けたのは樋口将軍と将兵の断固たる意志のおかげだ」と述べた。
【産経新聞 配信】
この報道では
今ウクライナで行われている理不尽な侵攻のルーツとも思える行為の一つが先の大戦の終戦から3日後にあったこと、またそれを断固として退けたことが記載されています。
当時は帝国主義時代の終焉とも言える時期であり「領土拡張への飽くなき衝動は留まるところを知らなかった」と言えばそれまでですが、その結果もたらされる現実を思えば、何とも乱暴極まりない時期であったことに今更ながら強い戦慄を抱かざるを得ません。
樋口中将の
命令がなければ北海道の北側がソ連領となっていた可能性は高く、その意味では先を見通した大変価値ある勇断だったと言えるのではないでしょうか。
そしてその侵攻の中心的人物の一人であったスターリンに強く共鳴するプーチン氏の存在は極めて危険で、その「時代に逆行する思想の実現を夢見る」独裁者という立場は世界の混乱を助長するものでしかなく、民主主義国家のもとで協調と繁栄を目指す立場とは全く相容れないものと言えます。
私たち
人類の多くは(たとえ貧しい暮らしであっても)「自由な生活」の素晴らしさを共有しており、独裁者の認める自由しかない生き方には到底満足できるはずもなく、だからこそ「それを強制されるくらいなら命をかける」というウクライナの選択に対して強い連帯の気持ちを表明していることを忘れてはいけません。
武器の近代化により独裁者からの自発的解放は難しくなっていますので、自由の価値を共有している民主主義国家は経済的な交流といえども独裁国家との交流は全て断ち、結果として軍事力への投資を抑制せざるを得ない状況を作ることが、今後の最も大事な指針となることは明白です。
世界中から
全ての独裁者がいなくなることが人類全体にとっての幸福への道であることを深く心に銘記し、そのために必要なことは何かを問い続けることが、今後の世界的な動向を大きく左右するものと思われます。
一人ひとりが「自由の価値」について考えてみることで、いわゆる「独裁制の不幸」ということへの理解がより深まるものと思われますが、いかがでしょうか。
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