「重症者数少ない」の落とし穴

『この7月以降の急増が重症者数に反映されるのは、8月以降だ。実際、直近の1週間を見ると、88人(4日)から162人(10日)へと倍近くになっている。』との記載がみられます。


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新型コロナウイルスの新規感染者が1週間で1万人も増えている。安倍政権は4~5月の第1波に比べて、重症者が少ないことを理由に「直ちに緊急事態宣言を出すような状況ではない」と繰り返している。

しかし、本当に重症者は少ないのか――。4月の緊急事態宣言の頃と現在の状況を徹底調査すると、驚きの実態が浮かび上がってくる。

安倍首相は4月7日に7都府県に緊急事態宣言を発令した。5月25日に解除されるまで、国民は1カ月半も自粛生活に協力し、失業や倒産も相次いだ。

多くの犠牲をもたらした宣言だったが、日刊ゲンダイが重症者と死者について、宣言直前と直近の1週間を比較したところ、現在の方が深刻な事態であることが分かった(別表)。緊急事態宣言を発令した当時の重症者数は現在の半分以下で増え方も小さい。死者数も少ないレベルになっている。重症者の実数だけを考えたら、再び緊急事態宣言を発してもおかしくない状況なのだ。

たしかに、足元(10日)の重症者数は162人と、第1波で記録した328人の半分程度と少なく見えるが、ここにも落とし穴が隠されている恐れがある。重症者数は感染者数が増えてから、1カ月後に増え始めるとされているからだ。

6月末、1日に100人程度だった全国の感染者は7月になって急増。200人、300人、500人、1000人と増え続け、8月7日には1605人と過去最多を記録している。今や1000人超は珍しくなくなっている。

この7月以降の急増が重症者数に反映されるのは、8月以降だ。実際、直近の1週間を見ると、88人(4日)から162人(10日)へと倍近くになっている。

法大名誉教授の五十嵐仁氏(政治学)が言う。

「数字を都合よく解釈したり、不都合な事実から目をそらすのは安倍政権の特徴ですが、コロナ対応でも同じことをやっている。経済優先で緊急事態宣言は再び出したくないし、『Go To トラベル』もこのまま続けたいという都合ありきの対応です。コロナの対応を論理的、科学的に説明できないから、国会や記者会見から逃げているのでしょう。しかし、重症者が増えるのは、国民の命に直結する問題です。これまでの調子でやってもらっては困ります」

しわ寄せは国民に回ってくる。

【日刊ゲンダイDIGITAL 配信】

みなさんは

新型コロナウイルスによる感染の現状をどのように理解し、またどのように対応すべきだとお考えでしょうか。

テレビのコメントでは「感染症の抑制と経済活動とのバランスが必要」といったものが多いように思われますが、それは果たして正しい対応と言えるのでしょうか。

私は

単に「バランスが大切だ」という考え方は「素手(武器ナシ)で戦え」と言っているのと同じことだと思っています。

つまり単に「感染症拡大抑制と経済活動継続のバランスをとるべきだ」という文言には「このようにすることで」という文言(武器)が抜けていますので、結果的には何も語っていないのと同じようなものだと思います。

単に

「自由と平和を目指すべき」と言っても、そこに何らかの説得力を感じる人は決して多くはないと思われますが、それはこの類の文言にはそのための手法が提示されていないからで、一種の「空文句」にしか聞こえないからだと思います。

「自由」を目指すなら個人の権利を尊重すべきであり、また「平和」を目指すなら集団での協調を尊重すべきであり、互いを両立させるためには「基本的人権の尊重」というような概念が必要になります。

つまり

「個人の権利の尊重」といえども「基本的人権」を超えた権利の尊重ではなく、また「集団での協調の尊重」といえども「基本的人権」を犠牲にした協調の尊重ではないとすれば、「基本的人権の尊重」という概念が「互いの両立実現のための手法」として示されているものと考えられます。

「感染症拡大抑制」のためには人との接触を避ける方向へと向かうべきであり、「経済活動継続」のためには人との接触を盛んにする方向へと向かうべきなので、このままでは互いの方向は逆になり、それを互いに両立させるためには何らかの概念(武器)が必要になります。

その概念こそが

「(PCR検査の常態化による)感染者の隔離」だと思います。

つまり「感染症拡大抑制」といえども「感染者の隔離」を超えたものではなく、また「経済活動継続」といえども「感染者の隔離」を無視したものではないということで、「感染者の隔離」という概念が「(両立)実現のための手法」として相応しいものと思われます。

仮に

今後新型コロナウイルスに関する見識が蓄積され、たとえば「紫外線ランプ」などでウイルスが不活化できるのなら、「感染者の隔離」から「ウイルス不活化機器の設置」という概念に変わることもあるでしょうが、いずれにしても単に「バランスをとれ」というコメントには何ら示唆するものはなく、極端に言えば「言葉の遊び」と言っても過言ではないと思います。

少しくどくどと言葉を並べてしまいましたが、要するに「PCR検査を常態化」してできるだけ多くの感染者を見つけ、感染者は少なくとも2週間は経済活動を抑制し、非感染者は積極的に経済活動を推進する、ということに尽きると思います。

その意味では

「PCR検査の常態化」こそが武器であり、ここに国力を集中することが第一で(他に治療薬やワクチン開発もありますが・・・)、それにより何も言わなくてもバランスは保たれていくものと思われます。

テレビで自民党の政治家が「バランスが大切」と強調する姿を何人も見ましたが、結局この人達からは何ら問題解決への本気度を感じ取れませんでした。

そして司会者からも「どうやってそれを実現しますか」というような当然の質問もなく、そんな状況が何ヶ月も続いているような気がします。

結局

それもこれも「重傷者や死亡者が少ないから」ということでの怠慢のような気がしますが、今回の報道で少しは本気でやろうという気持ちになったかも知れません。

「感染者数に一喜一憂するな」といったコメントも見られますが、「今の感染者数は2週間後を予測する数値」と考えれば、決しておろそかにできない数字であることは間違いのない事実だと思います。

このままでは

いくら言葉だけの「バランス」を叫んでも、次第に国民の活動は抑制へと進むだけです。

高齢者の死亡数が増加する状況を楽観視できる国民は極めて少ないでしょうから。

結局は「政府の無策」による混乱から抜け出せないまま最悪の事態へと進んでいるような気がしますが、いかがでしょうか。