「日本は稼げない国」か?

「優秀なベトナム人は日本には来ません」そうはっきり言う在日ベトナム人がいるそうです。


 

「優秀なベトナム人は日本には来ません」

そうはっきり言う在日ベトナム人がいる。日本にやってきて5年目で、現在は東京都内の商社に勤務するフーンさん(27歳)だ。

ベトナムに関し、メディアではよく「親日国」だと表現される。だが、何もベトナム人たちは「親日」だから日本に働きに来るわけでない。仕事があって、稼げるからに過ぎないのだ。

ただし、フーンさんのような高度人材にとって、日本はもはや「「稼げる国」ではない。彼女の年収は350万円程度だ。欧米への留学経験者やベトナムで起業した友人には、軽く1000万円を超す年収を得ている者が珍しくない。フーンさんであれば、ベトナムに戻っても現在の年収程度は簡単に稼げるだろう。

肝心の親日度にしろ、ベトナムでは急速に低下しつつある。実習生や留学生が日本で都合よく利用され、食い物になっている実態が伝わってのことだ。

両国の賃金格差が今後さらに縮まったり、日本よりも稼げる国が見つかるながら、ベトナム人たちは遠慮なく、この国から去っていく。高度人材のみならず、実習生のような底辺労働者にしろそうだ。そのとき日本は、不足する労働者をどこから補充するつもりなのだろうか。

【WEDGE Infinity 配信】

このような

記事に出会うと、一人の日本人として本当に悲しさと憤りを感じます。

彼女はベトナムでトップクラスの大学を卒業し、日本語能力試験で最高レベルの「N1」を取得しているそうです。

記事では

高度人材と称していますが、その基準が、仮にシステム的な不備を指摘したり、思いもつかない手法を提案したりなど、生産性を向上させるような効果をもたらす人材であるなら、年収1,000万円という報酬は当然の評価だと思います。

それが年収350万円(月額29万円)だとすると、そのような評価しか下せない日本には未来がないのかも知れません。

日本的手法という意味で

良く指摘されることの中には、いわゆる「下請け制度」というものがあり、さらには「その制度の多重化」というものがありますが、これらは全く無意味な制度の一つだと思います。

つまり実際に仕事をして価値を創造するのは下請け構造の末端の企業であり、そこまでに至る仲介会社は、あえて乱暴に強調的に言うならば、単に紹介手数料と称して、実施企業(価値創造の担い手)の当然の報酬を横領・略奪しているだけだと思います。

システム的な価値はほとんどないものと思われます。

あえて言うならば

「依頼主がどこに依頼して良いか分からない」ときに、「依頼先の情報を提供できるという価値がある」と言えますが、それならば最初の一回だけの紹介手数料で十分なはずですし、またそのような「企業の評価」を中立的に行う情報サイトがあれば、その中から選べば済む話ではないでしょうか。

長年に渡り、発注元から請負先までの間に存在して、都度手数料と称して発注価格を削り取る制度こそが、請負先の成長を阻む根源だと言っても過言ではないと思います。

本来なら、

実際に実施する請負先が発注元からの金額を丸々受け取ることで、それによって設備投資を進め、さらに大きな企業へと成長していくべきであり、そのようなシステムを作れる国こそ偉大な国であり、それがその国の政治家の使命でもあると思います。

ベトナムのフーンさんを厚遇できないのも、そのようなシステムの問題が影響しているものと思われます。

何故なら、

「下請け制度」というシステムの悪癖は、発注元の発注価格を紹介会社が押し下げるだけでなく、発注元自体が多くの発注先を、評価の良し悪しを問わずに利用するという手法により、つまりは優秀な発注先を作らない-皆同じ水準に保つという手法により、発注先への低価格化を継続するということも、頻繁に行われていると予測できるからです。

結局は優秀な人材は皆、最良のシステムを整備している国に集まるべきであり、その結果によって、おかしなシステムを続けることの弊害を知らしめるべきだと思います。

才能のある人が、

あるスポンサーに出会い、「君の作品はいくらでも買い取るから、夜も寝ないで作ってみろ」と言われたとしたらどうでしょう。

きっと急速にその規模を拡大できるのではないでしょうか。

世界中の才能のある人は、きっとそういうスポンサーのいる国に集まるはずです。

日本がそんな国になるまでは、果たしてどのくらいの年月を必要とするのでしょうか。