「『好き』を仕事に」という言葉に違和感

『まず、「好きなことだけをする」ことでカネをもらっている人なんて全労働者の0.001%ぐらいしかいないんじゃないかと思います。』との指摘がありました。


 

「好き」を仕事に――は多くの人の憧れである。YouTubeのCMでは、YouTuberを登場させて、好きなことをやって稼いでいる人々を描いた。様々な成功者のインタビューでも「好き」を仕事にしたことが語られる。だが、「それって本当か?」と疑問を抱くのはネットニュース編集者の中川淳一郎氏だ。同氏が「『好き』を仕事に」へ違和感を覚える理由について考察する。

まず、「好きなことだけをする」ことでカネをもらっている人なんて全労働者の0.001%ぐらいしかいないんじゃないかと思います。YouTuberでもそうですし、野球選手やサッカー選手でもそうですが、元々「好き」だったことが実は仕事になり、カネを稼ぐ人というのはごく一部。

一流のアスリートでも引退会見なんかで「プロになってから楽しいと思ったことはなかった」なんて発言をします。元々好きだった野球であっても、仕事としてやっていくうちに、「好き」だけではできなってしまうものなんです。

稼いでいるYouTuberであっても、稼げる人は率的にとんでもなく低いし、視聴者に飽きられないように努力もするし工夫もするし、時には道化になったりもしなくてはいけない。ふと「これって本当にオレが好きだったことなのかな……」なんて思うかもしれません。

今回、私が主張したいのは、「好き」なんてものは仕事になり得ないことがほとんどなので、「『好き』を仕事に」なんて煽るんじゃないよ! ということです。

【NEWSポストセブン 配信】

この

「『好き』を仕事に」という言葉は比較的使われている言葉だと思いますが、面白い指摘がありましたので取り上げてみました。

この記事で指摘しているように、『「好きなことだけをする」ことでカネをもらっている人なんて全労働者の0.001%ぐらいしかいないんじゃないかと思います。』という意見には同感ですが、ただ「『好き』を仕事に」という言葉は「好きなことだけをする」ということではないような気がします。

逆に

「全く好きでもない」を仕事にしている人がどれだけの割合でいるかを知りたいですが、私は「大雑把に言って好きだから」あるいは「どちらかと言えば好きだから」というのがおおよその見解のような気がします。

たとえば「体を動かすのが好きだから」とか「音楽を聴くのが好きだから」とか「食べるのが好きだから」とか、そういったことが「好きを仕事に」と表現されたと考えればまんざら違うとも言えないような気がします。

「食べるのが好きだから」ということで料理人を目指したとしても、若いころなら修行の辛さもあるでしょうし、仮に店を開業したとしてもお金の工面などの辛さがあるでしょうから、そこには辛さも同居しているので記事の筆者が指摘するように「好きなことだけをする」ことにはならないと思いますが、しかしやはり辛くても「食べるのが好きだから」という気持ちがあれば、その辛さを克服させてくれるのではないでしょうか。

その意味では

「『好き』を仕事に」という言葉の意味は、直接的な意味ではなく、もっと間接的な、「『好き』に近づく仕事に」ということで理解したいと思います。

仮に「食にそれほど興味がない」にも関わらず、料理人を目指したとしたら、遅かれ早かれ続けてはいけなくなるような気がします。

言葉というものは様々な解釈ができるため、直接的に受け取ったり、含みを加味して受け取ったり、いわゆる受け取る側の姿勢によって大きく変わるものだと思いますが、今回の(記事の)筆者の指摘が、それをより強調した形で教えてくれたような気がします。