勾留却下 過去50年で最多の6000件

刑事事件で逮捕された容疑者の勾留請求について、全国の裁判所が必要性を認めず却下した件数が2018年に6000件を突破し、過去50年で最多となったことが最高裁への取材で明らかになったそうです。


 

刑事事件で逮捕された容疑者の勾留請求について、全国の裁判所が必要性を認めず却下した件数が2018年に6000件を突破し、過去50年で最多となったことが最高裁への取材で明らかになった。

却下率(検察の請求件数に対する却下件数の割合)も初めて5%を超え、5.89%に上った。とりわけ裁判員制度が始まった09年以降、却下率は上昇を続けている。

同制度の導入を契機に、裁判所が身柄拘束の可否を厳格に審査する傾向が強まっていることが浮き彫りになった。

【毎日新聞 配信】

勾留請求の

却下件数については、次のような文言も公開されていました。

『06年に1000件を突破した。14年は11万5338件の勾留請求のうち、前年比819件増の3127件が却下された。却下率は2.7%だった。』

裁判員制度は

2009年(平成21年)5月21日から始まったようですが、却下率が2014年には2.7%になり、2018年には5.89%になったということで、確かに上昇傾向にあるようです。

ただ逆に言えば残り94%は勾留を認めているということで「まだまだ裁判所での審査には疑問が残る」と言っても過言ではないのかも知れません。

ただ

大切なことは「裁判員制度によって裁判所の身柄拘束の可否が厳格になった」という点です。

つまり民間人が知らない所では公権力(?)の通例的処置が多すぎるということを裏付けているようにも思えます。

よく

「民主主義とは何か」などのテーマで議論されることがありますが、この報道を見ても「民間人に知らされること(民間への情報公開)」、これが民主主義の根幹と言えるのかも知れません。

以前「三権分立」の大切さに触れたことがありましたが、この三権では立法府の代議員を選挙で国民が選ぶという行為により、その主張が「民間人に知らされること」になりますので、やはり「民間への情報公開」が盛んになることが大切で、逆に言えば「民間への情報秘匿」が横行している程、独裁的な傾向が強いものと思われます。

最近のマスコミの動向を見ると、

何か問題が発生した時は、個人のプライバシーも構わずに大挙して押しかけ、徹底的に糾弾する傾向が強まっているように感じられますが、もっと大事なことは公権力に対して「情報公開」を強く迫ることだと思います。

それが「民主主義」を守ることであり、つまりは「公権力の暴走」を止めることになると思いますが、いかがでしょうか。