日本の再生エネルギー目標低い

国際再生可能エネルギー機関(IRENA)のアドナン・アミン事務局長が来日し、東京都内で毎日新聞の取材に応じ次のように指摘したそうです。
『政府のエネルギー基本計画で2030年に再生エネの電源比率22~24%を目指すと掲げていることに対し、「今の目標は非常に低い。世界で再生エネの導入が進むと、日本はこのままでは(国際競争力などの面で)不利になる」』と。


 

国際再生可能エネルギー機関(IRENA)のアドナン・アミン事務局長が来日し、東京都内で毎日新聞の取材に応じた。アミン氏は、政府のエネルギー基本計画で2030年に再生エネの電源比率22~24%を目指すと掲げていることに対し、「今の目標は非常に低い。世界で再生エネの導入が進むと、日本はこのままでは(国際競争力などの面で)不利になる」と指摘した。

IRENAは太陽光や風力など再生エネの推進や情報収集、普及支援を目的に、2011年4月に正式発足した国際機関。事務局はアブダビにあり、160カ国・地域が参加。日本は現在、理事国を務めている。

アミン氏は、東京電力福島第1原発事故について「世界各国のエネルギー政策に大きな影響を与えた。事故後の8年で、再生エネは従来型のエネルギーと比べて十分に競争力を持つ段階にたどり着いた」と述べた。「原発はコストがかかり、ビジネスとして成り立たなくなった。今後は、原発のような集中型の電源から再生エネのような分散型が主流になり、原発の存続はますます困難な状況になる」とした。

また、これまでは国同士の関係は石油など化石燃料の貿易に大きく影響を受けてきたが、再生エネへの移行でその関係性が大きく変化するとみられる。アミン氏は「日本には再生エネに関して素晴らしい技術があり、再生エネ移行の先頭に立つ国になる可能性がある。再生エネ設備の導入のため、安心して投資できるよう、(導入促進に向けた)政策などを通じて、政府が明確なシグナルを示すことが必要だ」と述べた。

【毎日新聞 配信】

原発についての

最大の問題は「高レベル放射性廃棄物」の安全な処理方法が見つかっていないということです。

ある大学関係者の論文を以下にご紹介します。
『やっかいなのは原発で燃した後の使用済み核燃料である。これは再処理しその工程でウランやプルトニウムと高レベル放射性廃棄物を分離する。これによって廃棄物の体積が2 分の1に減り管理しやすくはなるが再処理によってさまざまな高レベル放射性廃棄物など処理に困る使用済み燃料が出ることになる。』

『高レベル放射性廃棄物の半減期は1000年~1万年とされており200万年以上の物質もあると推定されている。これが原子力発電でもっとも困難な問題なのである。』

更に

次のように続けられています。

『現時点での高レベル放射性廃棄物の対策は高レベル放射性廃棄物を高熱で溶かしたガラスに混ぜて固めた 「ガラス固化体」 をつくり 地下数百メートルに処分する というのが基本方針である。このような状態で放射能が自然のウラン鉱石程度に下がるまでおよそ1万年前後の間埋設しておくという方法である。しかしこの問題に関する国の方針も 説得力のあるものには思えない。』

ちなみに2015年3月現在、原子力発電所等で約17,000トンの使用済燃料が保管されており、また既に再処理された「高レベル放射性廃棄物」と合わせると、約25,000本分のガラス固化体に相当すると言われています。

報道には

『東京電力福島第1原発事故について「世界各国のエネルギー政策に大きな影響を与えた。事故後の8年で、再生エネは従来型のエネルギーと比べて十分に競争力を持つ段階にたどり着いた」』
という記述が見られます。

世界が日本の福島での原発事故を教訓に再生エネルギーへの転換へと大きくかじを切っているのに対して、当事者である日本の政府は、むしろ今ある原発をいかに稼働させるかに一生懸命になっているという印象を拭えません。

再生エネルギーの発展のために

積極的に政策を立案しているようなデーターはみつからず、太陽光の電力、買い取り価格引き下げなどのデーターを見ると、どちらかと言うと、原発優先の政策を立案しているかのようです。

技術というものは先行することによって多くの特許権が生まれ、また価格競争でも優位を占めることを考えれば、資源の乏しいと言われる日本は、率先して再生エネルギー化技術を開発・研究すべきだと思いますが、原発にこだわる現政権(行政)の対応は遅々として進んでいないように思われます。

多くの日本国民は

再生エネルギーの進展に期待しているものと思われますが、それとは逆行する対応を進めている現政権にも関わらず、なぜか傍観を決め込み、反対の意思を表明しないのは、それもみな「野党に政権を委ねても何も変わらないから」といった諦めの気持によるものなのでしょうか。

結局は我々国民一人ひとりが選んだ選択ということになるようですが、果たしてこれでいいのでしょうか。